12.03.30, 02:32

決済と責任

 最近は、と言うより、ずっとかもしれないが、布団に入る時間はいつも午前3時を回っている。
 だが、しんどいわけではない。
 その理由は明確である。
 人に言われてしている仕事ではなく、自ら決めてしている仕事が原因だからである。
 自ら決裁できる自分のポジションを当たり前のように感じていたが、決裁権は責任と同列に得ることができ、これに心地よさを感じる人だけがそのポジションを得るのかもしれないと、何となく感じるのだ。
 私には決裁権がないと嘆く人も多いが、実は、同列に位置する責任も受けることを避けた結果、そうなっているのかもしれない。
 世間では、橋下政権が誕生する勢いで彼の人気がうなぎのぼりの感は強い。
 色々とその政治手法に問題を提議する人もおられるが、なぜ、彼に人気が集まるか、その理由は明確である。
 合議だと言いながら時間がかかる今の政治に民衆は疲れてきているのである。
 私が責任を持つから、これでいくんだという強烈なリーダーシップに拍手を送っているのである。
 そう思いながら、どうも、責任も決裁も放棄している人が多くなっていないだろうか。

by 西岡博史
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12.03.27, 00:02

父の法要

 昨日は父の法要が実家であり、お寺さんにもおいで頂き、お経をあげていただいた。
 ご住職さんのお話しによれば、「かつてに比べて法要も簡素化され、私たちも呼ばれないことも多くなりました」
 「葬儀も自宅でされることは殆どなくなり、会館葬ですよね。寂しくなったものです」と話されていた。
 合理的に考えれば、生きている人たちが葬儀や法要で金銭も遣い、肉体的に疲れていては何もならないことは理屈的にも理解できる。
 だが、本当に合理的に考えていて良いのだろうか。
 せめて、一年に一度はご先祖様がおられて自分たちの今があり、その存在に感謝しながら在りし日を偲んで手を合わせることはとても大切な式典であり、これを割愛していてはならないと相当強く思う。
 それに、葬儀や法要は久しぶりに親族が一堂に会する日でもあり、大きく成長していく子どもたちを皆で支え合っていこうと絆を深めていく日にもなる。
 これらを割愛すれば、何のリスクが起きるのか、それは宗教心もない私でも答えがわかる。
 命も簡単に扱っていくリスクであり、この慣習が全体に覆っていけば国家としては大きな損失となる。
 命を大切にしましょう、と標語のように唱えてもその意味は理解しずらいが、命に関わる式典を大切にする姿勢を家族で持てば、命に対して改めて教える必要もないのかもしれない。

by 西岡博史
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12.03.24, 04:24

一生懸命

 今日は大阪府公立高校後期(最終)合格発表であり、ペスタロッチ学院の卒塾式でもある。
 毎年、そうだが、子どもたちが高校、大学入学後の抱負を一言で語り、講師からその返礼の式辞が各々の思いで語られる。
 胸熱くなるシーンもあり、その空気が少し恥ずかしく、思わずしてはならぬ茶化しを自らしてしまう。
 今年は大変有難いことに全員が第一志望合格という快挙に沸く一日となったが、本当に滅多にないことでもある。
 だから、凄いことだと自慢したいのではない。
 入試前のあの頑張りは筆舌に尽くしがたかった。
 教わる側も、そして、手前味噌ながら教える側も一生懸命、申し訳なかったが、私は傍らで観ていただけだが、素晴らしい入試前だった。
 私は送辞の中で、「一生懸命に勝るものなし」の話をした。一生懸命だった人だけに楽しさや喜びを神様は与えてくださる。
 だから、人生は捨てたものじゃないと信じている。
 しかし、人間はみんな本当は一生懸命になれる生き物であり、一生懸命になれるか否かは実は指導者に拠るところが大きいのではないかと思う。
 だから、指導者は少なくとも、実力云々ではなく、一生懸命でなければならない。
 プロだから、最低限、一生懸命であるか、自分の胸に手を当てて日々思ってほしい。

by 西岡博史
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12.03.23, 02:32

そこそこ

 私たちは学生時代、1点でも多くの点数や偏差値を求めたり、1勝でも多くの勝利を求めたりし、社会人になってからは1円でも多くの売上や報酬を当たり前のように求め、努力してきたのではないだろうか。
 いや、今も何も変わらずそうだ、と言われる方もおられるだろう。
 だが、本当にそうなのだろうか。
 リーマンショック以来、人の価値観は変化したとよく言われるが、実感としてあるだろうか。
 私はリーマンショックが契機になったのではないことだけは明言できるが、人の幸せ定義が変貌してきたことを実感として感じている。
 学歴や年収など全く関係ない所に幸せが存在すると心底、感じている。
 ただ、1杯のかけそばを家族で分け合うことに幸せがあると思っているわけでもない。
 そういう物質的価値観など全く存在しないところに幸福論が語れると思っているのだ。
 全てに「そこそこ」感を感じて、互いに思いやりのある環境さえあれば幸せなんだろう、と漠然と思うが、悲しいかな、こういう状況にある時こそ、幸福感に感謝しないどころか、幸せそのものも感じない人が多く、不平不満を口にしてしまう。
 健康で互いに思いやりの気持ちを持ち、前を向いている状況があるな、と思えば、感謝の念は必要である。

by 西岡博史
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12.03.20, 23:54

「吠える」愚かさ

 自分の思い通りにならない時、時と場合によるだろうが、皆さんはどのような行動パターンにでるだろうか?
 私は恥ずかしながら「吠える」ことが多い。
 相手を論破したくなる衝動に駆られる。
 自分の正当性を証明するために。
 だが、敗北感を味わった相手はどう感じるだろうか?
悔しいという気持ちだけが残るだろう。
 このところ、そういう事態が多くて反省である。
 自分の思い通り、などいう考えは、相手にとっては迷惑なことが多い。
 その事態を我慢し、耐えるのではなく、そういう事態を作らない人間に成長したい。
 利他の精神が自分にはないのか?と愕然とするが、周囲の事を考え、自己の利益を考えずに行動したはずだったのに、と自分の中の言い訳魂がにょきにょきと顔を出す。
 もっと成長しないといけない、と静かに待ち遠しい春を感じた今日一日だった。

by 西岡博史
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12.03.18, 05:58

サウナ内の民衆国会

 近所の銭湯のおじさんたちは、何の決議権も持たないが、サウナの中はさながら国会議事堂の中より面白い。
 サウナの中で放送されているTVの画面には、細野環境大臣が映し出され、がれきの処分を他の自治体の住民にお願いされていた。
「風評被害や実害が生じた場合は、国が責任を持って対処する」と大臣は真剣に話された。
 私はがれきを様々な自治体で分け合いながら処分していくのは当然の事で政令指定都市のみならず、いずれの施設も全て分散して行うのが筋だと思っている。
 ところが、このサウナの中の国会議員たちの意見は違うのだ。
 細野環境大臣の「国が責任を持って」の言葉に反応して、「どんな責任がとれるんだって、感じだよね。言葉が簡単で奇麗すぎるんだ」
「だいたい、福島原発の近隣には、もう戻れないことは明確なんだから、その土地を買い上げ、国有化して、そこに処分場を作って、そこで処理をすればいいんだよ。今も戻れないって、言わないことがずるいよな」
 実現に向けては困難もあるだろうが、具体的且つ現実的な気がする。
 先日のサウナ内国会議事堂でも、凄い意見が出ていた。
「福島原発自体の処分にも何年もかかるだろうな。ロボットを入れて、操作にあたらせるだって。悠長な話をしているな。」
「作業員を全国から募集すればいいんだよ。」
「無期懲役や死刑囚の中から募集するのは、どうだろう。最後にせっかく頂いたお命で、人様のお役にたてる機会を得ました、どうだ、だれか、やらんか?と言われたら、手を挙げてくれる人がいるんじゃないかなあ」
「殺された遺族が悶々とするのも、鉄格子の向こうで何をしているのかも、よくわからん。どうして、殺されたんだ?!と辛い思いで日々過ごされている。亡くなった人が戻ってくるわけでもないが、少しはその犯人が懺悔の気持ちの中で、日本国のために、被爆しながらも原発における作業に従事している、と思えれば、気持ちも楽になるしな」
 サウナの中では、
「そうや、そりゃあ、いい考えや!」と言いながら、数名で拍手が起こった。
 本当だなあ。
 ところが、現実、こんな考えを公に言おうものなら、人権擁護団体や自称社会派弁護士などから、袋叩きにあうのが落ちなんだろう。
 どこか、おかしい世の中である。

by 西岡博史
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12.03.16, 01:38

肯定メッセージ

 仕事でお会いした人から「西岡さんのブログ読んでいますよ。深く書かれていますよね」と言われ、正直、恐縮しながらも嬉しく感じた。
 これまでも、しんどいながらもブログを書き続けた一番の根っこにあるのは、教え子との約束であるのは違いないが、6年も書き続けると約束したわけでもない。
 では、なぜか?
 それは、「楽しみにしている」「すごく共感した」「気持ちが楽になった」など、その時々のブログにおけるコメントが少しは人様のお役にたったと思えたことが大いなる原動力になったことは間違いない。
 人によって、その使命感の感じ方に大小はあるだろうが、自分の行動や言葉に使命感、やり甲斐を感じれば、お金の問題は二の次になっても頑張れると私は思っている。
 もう少し具体的に言えば、「あなたの言葉で私は頑張れた」と思ってもらえれば、もっと頑張れる。
 更に更に具体的に言えば、「あなたがいてくれて、私は助けられた」と存在そのものの肯定メッセージを出されると、もうどんなことでもして頑張ろうと私なら思ってしまう。
 そんな人もいることを上に立つ人は知ってほしい。
 全ての人間にあてはまる真理ではないかもしれないが、私は多くの人が私と同じ感覚で生きているはずだと経験上感じている。

by 西岡博史
posted by nishioka   全般    

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