11.12.31, 01:35

知命

 とうとう大台に乗ってしまった。
 嬉しい気持ちなど正直ないが、孔子はかくも言われたことは余りにも有名。
 「五十にして天命を知る」と。
 天命とは何ぞや。
 運命であるか、使命であるか、では大きな違いがあるが、私は自らの努力もすることで社会へのお役立ちができる使命を知ることだと解釈する。
 何ができるかわからないし、大きな社会変革への布石を打てる人間でもなかろう。
 だが、目の前にいる人たちには少しは影響を与えることができるかもしれない。
 親から頂いたこの魂と身体を使い、少しでも人の幸せに貢献したい。
 家族からもらうプレゼントも友人からのメールも嬉しいが、教え子からの誕生日おめでとうメールは何より嬉しい。
 そして、従業員からのプレゼントも同様に嬉しかった。
 メッセージに書かれた一文。
 「いつまでも私たちの良きお父さんでいてください」
 確かにもうお父さんと言われる歳になってきたのかな、と笑ってしまったが、みんなを守れる大きなお父さんであり続けたい。
 それで「知命」とは奥が浅すぎて孔子先生に叱られるだろうな。
 もっと精進しないと。

by 西岡博史
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11.12.30, 00:00

領土・領海

 今の日本は特に政権交代以降、国際社会におけるプレゼンスの低下が懸念されている。
 その影響か、北方領土、竹島、尖閣諸島と様々な問題は解決に向かうどころか、完全に日本にとっては後退状況にある気がする。
 もっと、国際舞台において強烈にメッセージを発信しなければならないことは言うまでもないが、それ以上に私たち一人ひとりがこのことに対して正しい知識と認識を持たなければならない。
 当然、子どもたちにもこの件での知識を伝える必要があり、大人がその役割を担っているが、大変興味深いサイトを発見して、そこにある検定シートなる問題をpdfにてダウンロードしてみて、自分自身の知識の不確かさに自ら愕然としてしまった。
 わかっているようで、特に領海も含めるといたって、いい加減であった。
 私たちの日本は周囲が海に囲まれた島国で単一民族(かなり問題ある表現だが)国家であるが故に、これまで神経質になっておらず、ある種の鎖国状態が続く安全神話の中で育ってきたのだろう。
 だが、エゴイズムにはならない、グローバルな視点に立っての自国の利益を考えるとき、このサイトの検定問題は是非やってみられるのが良いと思う。
 日本青年会議所(JC)さんはさすがだと感じた。
 http://www.jaycee.or.jp/2011/report/ryodo/

by 西岡博史
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11.12.29, 02:05

納会

 塾部門は今年も最後の31日まで子どもたちを迎え入れるのだが、会社としての納会、及び忘年会を皆で共有した。
 毎年のように思い、感謝するだが、このメンバーで本当にありがとう、と感じるし、今年は例年になく、その想いを一層強くした。
 自分も歳を重ねたのか、この子たちのいいお父さんでいるから、思う存分仕事したらいいんだよ、そんな気持ちになったのが本音だ。
 私たちの仕事は今も変わらず思うが、スキルでもなければ経験でもない。
 目の前にいる子ども達に対して、真正面から力になりたいと強く思うことに尽きるのだ。
 更に言えば、その強く思う気持ちは、だれにも負けないと独りよがりだと言われても言い切れれば、私たちの仕事は成立すると思っている。
 何と言う高飛車な言い方だと聞こえれば、許してほしいし、そのようなつもりではないのだが、小手先のスキルに走ってほしくない事、ハートを忘れてほしくないこと、更に言えば、このハートに勝るものなど存在しない事だけは従業員、スタッフに伝え続けなければならない。
 わかっていることではあるが、改めて肝に落とし込んでほしいと感じた。
 ただ、メンバー皆各々、その魂を知っているし、このことに関しては、自信のもてる弊社のスタッフであり、今後も楽しみである。

by 西岡博史
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11.12.28, 01:18

風化

 東京でタクシーに乗って、運転手さんに話しかけた。
「東日本大震災の影響は感じられますか?」
 正直、予想もしていなかった返答に一瞬、「えっ?!」とたじろぐ自分を感じたが、話を伺っていて「それはおかしい」とは言えなかった。
 要するに、3月11日以降、震災と言うより原発の放射線汚染云々で幼いお子さんたちを持つお母様方は今も心配は尽きないだろうが、もう気にしていても仕方ない、と思えるようになったし、震災はもうかなり昔にあったようなもので、何もなかったように毎日があり、生活することでいっぱいいっぱいということのようだ。
 そして、「人は忘れる動物だから、明日を生きれる」と哲学めいた話までされた。
 直接、被害にあったり、身内や仲間を失った人たちにとれば、今も続くこの苦しみの中からどのように明日を見ればいいのか、と思われている事実も知っているが、「そんなこと考えている余裕もない」と言われる人を否定などできようもないことだった。
 でも、命を脅かされたり、失った事故、災害を私たちはやはり忘れてはいけないのだ。
 風化から生まれる物はない。
 何もなかったように穴をふさいではいけない。
 命を落とした人たちを弔うために手を合わせたり、命を失ったことに苦しんでいる人たちのために何ができるか考えるだけでもしなければならない、と改めて強く思った。
 生かされる道を歩くことを許可された私たちにできることは、時が流れていく今だからこそ、考える時間を持たなければならない。
 とは言え、東京の風は予想以上に冷たかった。

by 西岡博史
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11.12.27, 00:03

出会い

 とても有難い出会いもあれば、できれば避けたかったと思う出会いもあるものだが、すべて自分に必要な出会いだったと仮定すれば、どのように思われるだろうか?
 私にも正直、この人と出会わなければ、こんな苦しみを受けなっかただろうに、などと思う人がいないわけではないが、その人にもその人なりの言い分があるだろうし、受け止めてあげなければいけないと、今は思えるようになってきた。
 今日も2012年度の経済勉強会があり、すごいメンバーが集まっており、小泉純一郎の同級生やらキャリア組の人やら大使館に勤めている人やら、どこか、その場には違うと思う人もおられたが、感じたことは、いずれもが、この出会いを必須ととらえなければならない。
 出会った人の中には、学歴も人を測る尺度の一つ、でも、他にも測る尺度があることを知らない人もおられて、可哀そうな感じすらした。
 ところが、他方、これまで何を勉強してきて、何を感じたのか、質問する人がおられ、私は逆にその人の学習してきた足跡を感じてしまう。
 今日はその質問を投げかけた人に、素晴らしさを感じた。
 数少ないすごい人だからこそ、これからのその人とのご縁に感謝して、関係を深めさせてほしいと願った次第である。

by 西岡博史
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11.12.26, 00:38

価値観の相違の承認

 私を知る人は皆ご存知だろうが、私は一度目標を決めたら、とにかく睡眠をとらずしても邁進するのが本筋と考える男であるし、それこそが正しい道と信じてきた。
 故に目標がありながら、ゆっくり進もうとする人に対して、それは間違った道と強く諭してきた。
 ところが、本当はそれは違うのではないかと最近、自分がとってきた途に自信がなくなり、これまで、それを理由に揶揄してきた人たちに謝罪しなければと思うようになってきた。
 人には各々価値観があり、目標の有無に関係なく、ゆっくり進もうとする人にはその人の価値観があり、幸福論も各々異なっているうえ、そこに序列は存在しないという、ごく当たり前のことに今さらながら気づいた。
 そこに自分の好む、好まざるは存在するだろうが、相手を否定してはならないし、ましてや、自分の考えを押しつけてはならいということなのだ。
 皆さんは、1分でも早く到着するが混み合っている快速電車と、到着は遅れるが座ることのできる普通電車があればどちらに乗るだろうか?
 私は迷わず快速電車をチョイスし、そんなのは全員だろう、ぐらいに感じていたから、恥ずかしながら人を知らなすぎたのかもしれない。
 価値観は異なるし、そのどちらが正しいわけでもないんだ。
 これまで数多くのセミナーに参加したり、本を読んだりしながら、今でもその正しい道を発表できていない。
 それで良いのだろう。
 正しい、正しくないはありえない。
 どちらも自然に承認しなければならない。

by 西岡博史
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11.12.25, 00:14

Merry Christmas!!

 Merry Christmas!!
 と、世間は浮かれ具合だが、それも大いに良いのではなかろうか。
 不景気な時代ではあるが、お金を持って死ねるわけでもなく、使えるお金があるのなら、こういうイベントごとは宗教観が希薄な私たちだからこそ、楽しんでほしい。
 そんなことを思いながらも、私は日常と何も変わることなく、Christmasを迎えた。
 ちなみに、"Christmas"「クリスマス」と発音しながら妙に無声音の"t"が入っていることでスペリングは難しいが、これとて、「"Christ"(キリスト)のミサ」が語源と知れば、覚えやすいし、なるほど、などと思える。
 さて、本題に戻そう。
 先日、知人から「お金は借り物のようなもので、それが証拠に自分が所有しているお金であっても、自らつぶせば罰せられる」と話を伺い、これは「深い」話だなあと思っていた。
 確かに、日本には「貨幣損傷等取締法」という法律があり
「貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。」とある。
 違反した者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処するらしいから、なかなか重い。
 よく調べると、「貨幣」の定義は「硬貨」であり、「紙幣」は該当しないとの考えもあるらしいので、「お金」が「借り物」の考えた方としては、賛否あるだろうが・・・。
 私が深いなあと考えたのは、お金も含むこの世の全ての物はだれのものでもなく、ましてや「所有」できるものなど何もなく、自分の身体さえ、自分の「所有」できるものではない、と考える方がしっくりいく。
 神のみぞ、その答えを知る。
 Merry Christmas!!

by 西岡博史
posted by nishioka   全般    

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