11.09.30, 01:03

ブログの効用

 企業コンサルの先生に事務所までお越しいただき、ご指導を受けた。
 その中で私のブログの話となった。
 5年半、休まず、続けれた効果、それが何であったか、私が気付いていなかった一つを先生に言って頂いた。
 このブログでも何度か書いたが、その内容は一番だれに伝えたいのかと言えば、それは従業員へのメッセージという色が一番強い、と答えるだろう。
 宣伝になる、などというチンケな思いなど、全くない。
 だが、先生は言われた。
 「日々、ブログを書こうと意識されているから、様々なところにアンテナを張る習慣化ができておられるんですよ」
 ちょっとリップサービスはあるだろうが、確かに日中、「このネタ頂き!!」と思うことはよくある。
 毎日、ブログを書くのに、ネタに窮してしまったことはこれまで、数回だろう。
 それは公にできない内容で一日が終始した時であり、その日は困窮することも正直あるが・・・。
 それだけ、日常で無意識にさがしている習慣になっているのだろう。
 と、今日ぐらい自負しておこくことにしよう。
 ただ、その習慣がどれぐらい仕事に活かせたか否かは自信がない。

by 西岡博史
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11.09.29, 00:48

運のある人

 人生はいつも嬉しいこと、幸せなことばかりではないのは言うまでもない。
 どうして、こんなことが起こるのだろう、と悶々と悩むことさえある。
 だが、悩むことがあるからこそ、その闇に光がさす喜びがわかるのであり、その闇から光ある場所に誘導してくれた人に対して感謝することも覚えるのだろう。
 そして、のど元過ぎれば、その苦しかったことも忘れ、能天気な言動となり、また、苦しみ、そして、そこからの解放劇と繰り返しが訪れる。
 上記は理屈だが、経験上事実だ。
 ただ、周囲を見ていて、この苦しみが明らかに短い人とこの苦しみが継続して続いているように見える大きな二つの集団があるように感じてならない。
 皆さんも見渡してほしい。
 必ず、あの人はついているなあ、とか逆の言い方をしてしまう人もいる。
 それは偶然ではない。
 よく話していると理解できる。
 好転していく人は、切り替えがはやく、いつも原則明るいのだ。
 逆の人はいつも暗い。
 やはり、笑顔は、運を引き寄せてくれる。
 絶対に間違いない。
 おもいっきり笑ってみよう。

by 西岡博史
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11.09.28, 02:44

本当の優しさ

 私の周囲には所謂人の良い人が多い。
 今だけかもしれないが「そんなことはない」と考える人の方が圧倒的に多い。
 確かにその人の良さが影響して、勝手な立ち居振る舞いが多く、それを修正できない、という問題点だけが残っている。
 だが、そんな目で見てすぐわかる問題点を指摘したいのではなく、人の良さが仕事に対する甘えにも通じることがあり、なあなあとなっている問題点を本当は伝えたい。
 更に言えば、客観的に判断して、「人の良さ」と「仕事の効率」という二つのテーマにおいて、その相関性はなく、「人がよいほど、仕事はできない」という私の弟子たちの言葉が重くのしかかる。
 人の良い人たちに共通して言えるのは、「平素から人を倒す」と言う言葉に嫌悪感を覚え、なんびとも幸せになってほしいなどと理想を言うのである。
 そのせりふは私の口癖でもあり、私の本心でもあり、私も当事者でなければ、正にそれは願いだが、ようやく気付いてきたことは、人の良さは厳しさを伴わず、今が良ければそれでよいという短略的な人に多いということだ。
 本当のの優しさは、言いたくない指摘をして、その人の長きにわたる優しい生き方ができるよう支援することを言うのだと思う。
 誤解した優しさの故に優しくない生き方になっていることが周囲には多い気がして遺憾だ。
 こうすれば、どうなるかというシミュレートする力が必要であり、そのパターンを何種類か想定する力こそ、仕事ができるということになるのだ。
 ご都合のよいパターンしか考えられないのは誤りとなる。

by 西岡博史
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11.09.27, 01:39

mottainai

 ワンガリ・マータイさんが癌のため、この世に別れを告げたとの報道が車のラジオから流れてきた。
 すぐに"mottainai"のスローガンを世界に知らせしめた人だとピーンときた。
 ケニア出身の女性環境保護活動家で、名門ナイロビ大学初の女性教授であり、環境分野の活動家としても、アフリカ人女性としても初のノーベル平和賞を受賞した人だ。
 私たち日本人は高度経済成長時、消費文化を当然の如く賞賛し、それまでの風呂敷文化とも言える3R(Reduce:消費削減,Reuse:再利用,Recycle:再資源化)を否定していたはずだ。
 もったいない=せこい、しょぼいのように感じていたに違いないし、私もそのように思い、言動もそうであった。
 ところが、バブル経済がはじけ、特にリーマンショック、そして、今年の東日本地震、特に福島原発事故以来、間違った考えのもと、生きてきたことに後悔し、ようやく本気で何かできることなら、と思い、行動をとるようになってきた。
 限りある資源であるのは間違ない。
 私は、最近、物を購入する場合、極力、包装は結構です、と店員さんに伝える。
 先日もプレゼント包装はさすがに簡易にして頂いたが、その入れ物の袋は遠慮した。
 すると、その包装にデパートのシールを貼られた。
 そこまでして、そのデパートの印など不要なのに、とも思ったが、そこがブランドの意地だろうか、とも思うが、デパートの袋一枚の節約貢献したのだ。
 たった一枚だが、重なれば大きい。
 また、車を購入し、既に3か月がたとうとしているが、極力、利用することをやめており、未だ走行距離は何と600kmであり、月平均200km、ガソリンは一度しか入れたことがないほどだ。
 少しでも、皆が努力することでmottainai精神が当たり前となって根付いていく。
 そう言えば、「もったいない」は漢字で書くと「勿体ない」だが、元は仏教用語の「物体(もったい)」を否定し、この世の物体そのものがなくなり、嘆くさまを言ったそうだが、ワンガリ・マータイさんもこの世を去り、その悲しみは世界に広がっている。とは言え、元々、物体に永遠はなく、無常であるのかもしれない。
 だからこそ、無くなっても良いのではなく、次の世代にも今ある物体は少しでも継承し、それでも無くなる無常観を自ずと知ることとなるのが必要なのだろう。
 理屈っぽくなってしまった秋の夜である。

by 西岡博史
posted by nishioka   全般    

11.09.25, 20:00

秋の味覚だより

 兵庫県、丹波篠山と言えば、黒豆、自然薯、丹波栗、猪肉など美味なる食材のオンパレードだが、私はここの契約農家さんから、お米を毎月送ってもらっているが、とうとう秋の新米が送られてきて、ご賞味にあずかることとなる。
 とにかく、「うまい」
 ダイエットに炭水化物はアウトであり、もう止めておこうと思いながらも手が出てしまう。
 何と言うか、一粒一粒が独立して、主張しているような、それでいて、米本来の甘みがあり、本当に日本人で良かったと思える瞬間の一つであった。
 水、気候、様々な外的な影響と何よりは農家の方の心が大きく影響して食は成立する。
 おいしいお米をご提供くださり、心から感謝する次第である。
 従業員の出身地、北海道から秋鮭も送って頂いた。
 こういう品もたまらんほどうまいのである。
 やはり、大自然が育んでくれた味であるのは間違いない。
 ところが、一方、福島県二本松の収穫したてのお米から県による予備検査で基準(1キロあたり200ベクレル)を上回る500ベクレルもの放射線量が検出された。
 このままでは当然出荷できないが、丹精込めて栽培した米を場合によっては廃棄しなければならないお気持ちを考えると、こちらも落ち込むほどだ。
 東電を責めたいのではないが、行き場の無い悲しみと怒りが錯綜しているに違いない。
 増税による震災復興か否か、の討議はとても難しい。
 だが、この農家の人たちの怒り、悲しみ、苦しみを少しでもわかってあげようと国民一人ひとりが意識することは絶対に大切だ。

by 西岡博史
posted by nishioka   プライベート    

11.09.25, 01:19

男の料理

 今朝は6時からパソコンに向かい、夕方6時までほぼ仕事一色で過ごした。
 電話も着信履歴を見れば合計7本と少ない。こんな日は充実感がある。
 そして、夕方から買い出しに出かけ、「男の料理」を作ることとなる。
 京都は良い食材がデパートに集まる。毎日作るのなら、何が安い、と考慮するのは当然だろうが、たまの人間にその知識もなし。
 家内と三男は泊まりで不在、夜9時ごろには長男も次男も帰宅するので、その食事の用意である。
 子どもたちが喜ぶわけではないが、私はどうも和食派でその献立となっていく。
 奇麗な新鮮ないわしがあったので、これの煮つけ。そして、温ごま豆腐の野菜あんかけ。天然ブリの刺身(もちろん、私がが包丁で切るのである)。枝豆(丹波の紫ずきんがあったので購入、これは本当に実も大きく、うまい。)あとは、できもののちらし寿司とインスタント赤だしである。
 器用さなどありもしないが、食い意地だけは張っているので料理を作るのはとても楽しい。
 毎日だと嫌になるんだろうけど、非日常を感じるにはこの料理作りに限る。
 ところが、いつもの如く洗い物がたまってしまう。
 ただ、昔と異なり、少しは知恵がついた、と自負することは、ゴミは溜めずにどんどんゴミ袋にいれていく。それと、子どもたちも大きくなったので、食べたら片付けること、と口うるさいほど言いまくる。
 これにより、以前の「男の料理」とは散らばりは大きく異なる。
 子どもたちの評価はまずまずだった、としておこう。
 だいたい、彼らの舌はB級で肉があればいいのだろうが、日本人には固有の繊細な味覚が発達しているはずと思っている。

by 西岡博史 
posted by nishioka   プライベート    

11.09.24, 02:00

墓参り

 母と妹の家族と実家にほど近い我が家の墓で待ち合わせし、私の家族(長男、次男はクラブで行けなかったが)と共に墓参りをした。
 以前はお花も数珠も持たず、仕事に向かう途中で気が向けばよく立ち寄った場所である。
 恥ずかしながら宗教心もさして育まれたわけではないが、墓参りは好きである。
 ここで父と会話するわけでもないし、もちろん、父に語りかけるわけでもない。
 だが、「よろしくね」と一言言うだけで落ち着く不思議スポットだと思う。
 そんな墓前で、また、いつもの西岡家得意のおちゃらけでみんなで爆笑した。
 全くいつものことながら、この明るさが一番だ。
 小難しい理屈を並べても仕方ない。
 みんなが健康であることをご先祖様に感謝してばちなどあたるはずはない、そう信じているのである。

by 西岡博史
posted by nishioka   全般    

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