09.09.30, 22:32

イソップ物語

 終日、別の仕事をしつつも、イソップ童話とのにらめっこの時となった。
 十年ほど前に、イソップ童話のいくつかを英訳し、某商品のサンプルに使用して頂き、小さなギャランティを頂戴したことがあるが、それ以来の取り組みだった。
 まず、そもそも、この寓話は紀元前6世紀とも言われるが、アイソーポス(イソップ)の創作や或いはそれ以前の民話をまとめて作られたと言われているが、日本にもキリスト教伝来以後、イエズス会で翻訳され、何と言っても江戸時代の初めには、あの「伊曾保物語」として、普及され始めたようだ。
 「イソップ」が「伊曾保」なのだから、笑える。
 それにしても、世界中に伝承され続けての今だから、様々なパターンがあり、現存しない原作は、いったいどうだったのか、興味のあるところだ。
 ただ、原作に近い作品ほど、その殆どは食うか食われるか、殺されただの、裏切っただの、目を覆いたくなるシーンも実は多い。
 今、子どもたちにとって良い作品となるよう、こういうシーンは脚色されつつ変化したものも多いが、個人的には、オブラートに包むことなく、そのまま伝えた方がかえって子どもたちには伝わりやすいと思う。
 日本には宗教観が薄いので、それまでは何か得体の知れない畏敬の念に支えられて、家庭でも学校でも教育が行われてきたのだが、それが、全て科学的であったり、オブラートに包んできてから、「罰が当たる」のような非科学的な事が一笑に付されるようになってきた気がしてならない。
 そんな今だからこそ、教訓を含んだイソップ物語が今また見直されてきているようだ。
 とは言いつつ、作品をしあげながら、ひとつひとつの教訓に自分自身が教えられているようで、考えさせられる一日となった。
 こんな仕事のスタンスだから、時間がかかって仕方ない。
 だが、だからこそ、好きな仕事なのかもしれない。
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09.09.29, 23:14

イベントへ7ステップ

 私は私を知る多くの方がご存知のように、イベントに参加することも、イベントを企画することも大好きである。
 世の中にはイベント屋さんと称せられるプロもたくさんおられるので、私が言うのもおこがましい。
 しかし、私たちの仕事も実は日々がイベントであるとも言えるので、私なりの意見をこれまでの経験から書こう。
 例えば、私たちの行う毎回毎回のレッスンもイベントの一種と言えるからだ。
 もちろん、イベントと言えど、それは、限定された少人数で行うものから、不特定多数の方の来場があるもの、有料と無料と規模も様々である。
  とにかく、何れのイベントにも共通した成功への条件がある。
 まず、イベントは綿密に計算された企画の上に成立するものであり、偶然の成功など産物として生まれない。
 よって、用意周到でなければならない。
 
 その用意には次の7つのステップを踏む必要がある。
2.目的・目標は明確にしたか-purpose-
3.受け手の表情を中心に、なるべく多くのチャートを想定し、それごとのシミュレーションをしたか-simulation-
4.安全性の確保はできたか-security-
5.綿密な予算計画をたてたか-budget-
6.受け手が次への期待を持てるか-expectation-
 そう、お気づきだろう。
 最も大切な1と7が抜けているのである。
 このファースト・ステップを越えたものでなければ先に進めてはいけないし、7つめのステップも完了できなければ成功はないのである。
1.自分自身にわくわく感がある企画であるか-exciting-
 そして、ラストは
7.成功したイメージを持つことができたか-success image-

 上記7つのステップはとても大切だ。
 弊社スタッフはよく覚えていてほしい。
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09.09.29, 01:27

サービスエリア

 高速道路を走行中、久しぶりに猛烈な睡魔に襲われ、大声をはりあげようが、窓を開けようが、オーディオを轟音にしようが、この魔物は立ち去ろうとするどころか、強烈な勢いで私を押さえつけようとするのだ。
 わかっていながら、凄い恐怖である。
 走行中、何とかそこまでは、と必死の思いで見た標識が「吹田SA」であり、そこへと車を走らせ、たどりつけた。
 平素、サービスエリアというのは、よほど遠方に行かない限り寄ることはない。
 効率よく時間を過ごしたい私にとって、サービスエリアは無駄な場所と思っていたところが正直ある。
 お手洗いも身体には相当悪いだろうが、我慢すれば、朝に行って夜まで行かないことさえあるぐらいだ。
 ましてや、吹田SAは自宅からも一番近いサービスエリアであり、寄ることなどまずなかった。
 行ってみて驚いた。
 本当に関係者の方がおられたら、ごめんなさいだが、この類の所って、「汚い、まずい、サービス悪い」みたいな印象があったが、とんでもない。
 レストランの外だが、スタッフの方々が笑顔で「いらっしゃいませ」と声をあげている。間違いなく、それなりの教育を受けたのだろう。
 それに中はある程度、古いので美しいとは言えないが、ごみがあるわけではなく、壁面には、壁掛けの大型液晶テレビがあり、渋滞など様々な情報を流している。
 お土産売り場も吉本関連グッズや大阪・京都・神戸の名物も販売し、購買意欲も駆り立てられる。
 だれが読まれるのか、何故か、雑誌やコミックの販売コーナーもあり、充実もしている。
 時間は遅かったので、店舗は後片づけの準備となっていたが、たこ焼きや串にさした唐揚げなど食べてはいないが、おいしそうである。
 時代が流れれば変化するのは当たり前だが、確実に殿様商売ではなく、それなりの企業努力もされていることは理解できる。
 少しの時間だったが、良いベンチマーキングの時となった。
 もちろん、お手洗いも綺麗だった。
 
 睡魔はどこかへと消え去ってくれた。
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09.09.27, 21:09

環境整備

 事務所も教室も常に環境整備しなければならないことは、絶対だと思っている。
 例えば、昨夜、触れたクレドにも絶対入れなければならない必須条項とさえ思っている程である。
 それは環境整備こそ、ホスピタリティの原点であり、周囲や顧客への配慮・思いやりを表すことになると信じているからである。
 汚い場所でも平気な人はいるが、当然、そこに不快な思いをする人も出てくるだろう。
 ところが、きれいな場所は不快だとは思わないだろう。
 数の問題ではなく、不快だと感じる人への配慮である。
 それは、顧客だけではなく、お取引先の方、そして、何より、仲間であるスタッフへの思いやりになるのである。
 また、環境整備することで、業務の効率もアップされるし、そして、安全の確保へとつながるのである。
 汚くても仕方ない、忙しいのだから、と思う人は利己主義だと自分で思うべきだ。
 そんな辛辣な意見をスタッフに昨夜話し、今朝にはメールを入れた。
 今日は休日だったが、素直な気持ちで清掃業務に勤しんでくれたらしい。
 私も本当に整理整頓は苦手であり、私が整理整頓に関して熱弁をふるえば、家族はお笑いの種とすることだろう。
 苦手だからこそ、意識しているし、私の事務所は予想に反して綺麗だ。
 綺麗にしていると、少しの汚れも気になるし、消しゴムのカスとて、まずフロアに落とさないように最新の注意を払う。
 だが、自宅の仕事部屋は相変わらず綺麗ではない。
 家族は、私たちへの配慮は不足していると言うのだろう。
 どうも、すいません。
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09.09.27, 02:13

クレド制作経緯

 このブログでも何度か触れたクレド(「企業理念」と訳された本も見たことがあるが、私が捉えている意訳とすると、「企業理念に基づく行動指針」)だが、弊社でもようやく、個人個人への落とし込みはできてきたようで、いよいよ、今後が全体の意見を集約しつつ、まとめていく作業に入る段階となった。
 クレド制作委員の一人から以下のメールがきた。
 『ひとつひとつ出していただいたクレドをじっくり読んでみると、先生方の個性や、その先生が大切にされていること、大切にしなければと思っていることもわかり、とても楽しい作業となりました。
 この先生とこの先生は考え方が似ているのかもしれないという気づきや、自分では大切に思っていなかったことも、「確かにこれは大切だ」と考えさせられることもありました。
 何より、クレド委員をすることで、普段はかかわりの少ない先生方達の考えにも触れることができるような思いになります。自分のふがいなさや考えの甘さに落ち込むこともしばしばですが、とても良かったと思っています。
 社員全員で良いクレドを完成させることが出来るように頑張ります』

 本当に嬉しいメールであり、すばらしい気づきだなあと思う。
 私自身も個々のクレドを読みながら、大切にしている事の違いや何れの考えものすばらしさにも感動していたところだ。
 「クレドは完成したら、次の修正に入る準備を始めて欲しい」と書かれた本も読んだことがある。
 クレドなるものを考えながら、自分の生きる本来の道を模索するきっかけになれば良いし、また、周囲を認める自分へのきっかけにもなれば良い。
 本気で考えていき、行動を起こせば、道はできてくるものである。
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09.09.25, 22:40

歳をとる

 正午過ぎにジムに寄った。
 1時間ほど汗を流して睡魔を飛ばそうとこの時間帯に立ち寄り、驚いた。
 クローズ間際の夜とは別世界の元気印の老人天国だった。
 ストレッチしていても柔軟性の違いは歴然、走っていても息のあがるのも私の方が早い、日々の鍛錬の成果はこうも如実に出るのだと肩を落として早々と引き上げ、風呂に入る。
 そこで、75歳と自ら言われる方が二人、親しげに話をしておられ、何気なく、聞き耳を立てた。
 どうやら、一人の方の独り暮らしだったお姉さんが80歳だが、先日、老人ホームに入られたそうだ。
 痴呆の進み方が早く、一人で自炊させていて事故でも起きてからでは遅いので、無理に入ってもらったそうだ。
 印象に残る話がある。
・入る所が見つかっただけでも良かった。
・それでも毎月の自己負担が12万円にもなる。
・ホームの中でも特に女の人は喧嘩が絶えないらしい。

 如何なる人も老いていくことは避けることはできない。
 だれもが人に迷惑をかけたいわけではなく、その日が来ることは怖い。
 先日も母から親しくさせて頂いている知人の方の痴呆の進み方が異様にはやい話を聞き、母も人事に思えないようで、顔を曇らせていた。
 やはり、老人介護はこれからの社会で避けて通れない大きな問題である。
 将来に心配の無い社会は国の施策が一番大きな効果があるだろうが、それは費用の問題はもちろんだが、地域社会の中での心の通う受け皿を作っていくことにあると思う。
 ジムで汗流す元気印のおじいさん、おばあさんも自らの身体のケアも大切であり、ずっと元気でいて欲しいが、必ずいつかジムに来られない日が訪れるだろう。
 安心して歳をとることができれば、いいのにな。
posted by nishioka   全般    

09.09.25, 02:10

怒り

 怒りという感情は、自分の常識や期待とは異なる言動や自分の思い通りにならなかったことに起因していることに反論する人はいないだろう。
 そうであるなら、それは全て他人や社会ではなく、他ならぬ自分自身が原因であると換言しても誤りではない。
 禅問答をするつもりではないが、実は、自分が原因だと理解できれば、すっと怒りの感情が消えてくるから不思議だ。
 自分の思い通りにしようと無理な力を加えて怒りや場合によれば落胆などの気持ちを味わうこととなる。
 例えば、電話をかけて、保留にして何分も待たされた、よくあることだ。
「私なら、こんなに相手を待たせないのに・・・」結局、私なら、という気持ちとの違いに怒りの気持ちが沸々と起こる。
 挙げ句の果てに待たせながら、お詫びの言葉もなかった、こうなると、完全に怒りの境地に達する。
 だが、本当に一度も自分は相手を待たせたことがないのだろうか。或いは、先方の怒りを感じないまま、お詫びも言わなかったことは無いのだろうか。
 わかっていては無いつもりだが、それとて、絶対か?と尋ねられたら、何とも返答に窮してしまう。
 自分と同じ思いをさせないように肝に銘じることは大切だ。
 だが、知らず知らずのうちに相手に不快な思いをさせてしまっていることはあるだろう。
 そんな時は素直に謝罪しよう。
 そして、怒りを誘発させた原因は他にあるだろうが、あくまでも怒りのチケットを購入しているのは最終的に自分である認識をすることで、大人になっていける気がする。
 すばらしい大人になりたいし、成長したアダルトでいたいのである。
 今日は何度も怒りの烽火をあげてしまった自分をこの深夜に静かに反省しているのである。
posted by nishioka   全般    

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