08.11.29, 22:58

論破の罪

 私は、自分で言うのも何だが、口が立つ。
 自らの正しい主張で相手を論破したい衝動に駆られる時さえあるのが正直なところ。
 世の中、正義は常に勝つのであり、真実も一つだ。
 だから、正しいと思うことなら、相手への尊重を忘れて追い込んでしまう。
 しかし、その内容は正しくとも、これで相手を追い込むことは正しいのか、と問答すると、答えはやはり、×と言わざるを得ない。
 そもそも、論破された相手は、心から理解し、納得できるだろうか。
 力でねじふせられた相手に残るのは、悔しいという気持ちだけの場合さえある。
 世間でよく言われる「聞き上手」に徹する訓練が、私には必要なのだろう。
 最高のセラピストであり、カウンセラーに言葉は要らないとさえ、言われる。
 
 昨日の紫のブレスレット、何度も左右の手首をつけかえた。
 リセットし、また、やり直し。
 でも、めげずに頑張ろう。
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08.11.29, 00:12

もう、不満は言わない

「もう、不満は言わない」(Will Bowen著 サンマーク出版)という作品を既に読まれただろうか。
 著者であるボーエン氏はミズーリ州カンザスシティの牧師さんであり、紫のゴムのブレスレットをはめ、21日間、不満やゴシップを言わなければ、本物の自分に変われるという。
 私は、確か10月上旬にこの本を読み、読者アンケートで1つのブレスレットが送られてくるとは書かれていたが、彼のホームページがあり、同じなら寄附をしても100個手に入れようとリクエストした。
 http://www.acomplaintfreeworld.org/
 そして、送料も実際にはかかるだろうが、確か$90にも満たない金額をクレジットし、リクエストすると、本日、本当に100個のブレスレットが届いた。
 もちろん、この本を実際に読んでチャレンジしてほしい。
 だが、私が実際にこのチャレンジにトライしてみようと思ったのは、何度、失敗しても、一度、手首にはめたブレスレットも不平を言えば、右、左にはめかえて、何度でも、21日間のチャレンジをすれば良いという点である。
 私が21日間も不平を言わずに過ごせるだろうか。
 不安はあるが、口に出そうになる時、このブレスレットを見てみよう。
 そして、言ってしまったら、また、やり直してみよう。
 私に近い人は、是非、このブレスレットさしあげますから、声かけしてみてください。
 一緒にチャレンジしてみませんか。
 complaint(不平不満を言う)は、マイナスになれど、プラスにならないことは殆どの人が知っているはず。
 だけど、私なんぞ、その日々を平然とではなくても、送ってしまう。
 本日、日が変わり、11月29日、あえて、21日を加えた日を計算しないでおこう。
 年を越しても、21日間のプログラムを終えて、柔和な自分でありたい。
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08.11.27, 21:04

雨ニモマケズ

 友人から、転職の報せがあった。
 いわゆる最大手と呼ばれる所から中小企業、いえいえ零細企業への転職だ。
 その会社の代表に惚れて、自分を欲してもらっている所へ移ろうと考えたそうだ。もちろん、給与も大幅ダウンだ。
 必要とされている所で精一杯やりたい、というのが本音であり、俗に言う「歯車の一つになりたいのではない」という気持ちとは若干異なるらしい。
 だが、昨日、その転職した会社に以前を知る営業の人が訪れて、「あなたは都落ちしたんだよ。こんな所で、よく仕事をする気になったね。もう戻れないんだから、せめて、もう少し別の所を考えた方がいい」と言われて、自分のことがショックではなく、こんな事を言いに来る人がいることにショックを受けた、と話した。
 私は、この場で、見かけ上の大小で判断せず、人間は必要とされて幸せだ、的な話がしたいのではない。
 そのご丁寧な忠告をしに来た人の真意は計り知れないが、空気を読めずに話す人がいることは確かであり、その人に怒りを持ってはいけないという自分への戒めも含めた主張だ。
 可哀想な人は何処にも存在する。
 だが、そんな人と同じ土俵に上っていると、本来のするべき仕事、本来のステージが見えてこないのである。
 転職した彼の判断が正しかったか否かはわからない。
 だが、正しかったと思える人生にすれば良いだけのことであり、そのためには、自分のするべき事を粛々と、していくだけであろう。
 宮澤賢治も「雨ニモマケズ」でこう言っている。
「慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル」
 そして、こう結んだのだ。
「ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ」
 
 自分もなれるかなぁ。
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08.11.27, 01:39

傲慢と謙虚

 努力していれば、しているほど、自分の残した足跡に対して人に評価してもらいたくなり、理解してもらえない時には不満が怒りに近い感情にもなり、周囲を巻き込む。
 これを「傲慢」と呼ぶのであろう。
 この「傲慢」な自分に対して、ゆっくりと冷たい水をさしてくれるのが友人であり、心から感謝する。少しは目を覚まさなければならない。
 その「傲慢」さに心から謝罪しなければならない。
 たとえ、誤解であったとしても、その誤解をうんだ要因が自分に全くないのであろうか。絶対にないなどとは言えない。むしろ、自分こそが要因だ、と考えた方が正しい。
 神様は、生きていく中で、多くの罠をしかけてくださる。
 その罠にいつもしっかりとひっかかり、そこでもがく自分がいる。
 用意されたその罠の本質は同じなのに、毎回、罠に気づくのは遅く、同じ反省を繰り返す、愚かな私である。
 だが、そのトラップにかかるごとに、「反省」を経て「感謝」と「気づき」を知る。
 有り難き罠ではあるが、もっと「謙虚」になろう。
posted by nishioka   全般    

08.11.26, 01:21

言語教育

 私の携帯に見慣れない文字が着信に出た。
 「公衆電話」?「あっ!」
 およそ2週間ほど前の私のブログを覚えて下さる方はわかるだろう。
 アメリカ・コンチカット州のBrien McMahon High Schoolの先生が無事に来日された。
 そちらの先生が携帯電話を持っていないままの来日で不安があったことをこのブログで書かせて頂いたが、無事にお会いすることができ、決しておいしい和食さん屋とは言い難いがご一緒に最終の新幹線まで時間を共有できた。
 だれもだろうが、私は、本当に知らなかった場所やそこに住む人たちの話しに胸躍る。
 来年5月に来日するBrien McMahon High Schoolの生徒たちのうち、4人に弊社が来日費用の一部を補助する話が決まった。
 今後、年末までにこの学校の生徒たちの弊社スカラシップの選考が始まる。
 コンチカット州はニューヨークに隣接していることもあり、かの有名な今は亡きポールニューマンもその住居を構えていたほど、貧富の差はあるようだ。
 この高校からは、全米ナンバーワンと言われるハーバード大学にも進学されるし、他方では、なかなか学力増進も進まないという生徒たちも在籍しているらしいが、来日できる枠40名は一定基準の成績を収めないと費用の支払い能力とは関係なく、Noが出されるらしい。
 私はお願いした。
 来日前の生徒たちの選考よりも、来日後の帰国してからの日本の良さ、欠点のレポートを是非読ませて頂きたい。
 自分の知らなかった日本の良さを再確認し、皆に伝えたいし、他方、欠点と感じる部分の是正に自分もお手伝いできるものなら、したい。
 今日、食事しながらのBrien McMahon High Schoolの先生のお話に興味深い箇所があった。
 それは言語の指導方法である。
 日本もまた、そちらの学校も会話に対して、マスフォームの中で指導しているのではないか、という一つの疑問提議だ。
 だが、飛行機の中での幼い子どもと母親の会話は、「おいしい?」「うん」というショートフォームであった事に何か誤った言語教育を感じたらしい。
 私たちの指導は、「この食べ物はおいしいですか?」「はい、その食べ物はおいしいです」というマスフォームの指導という点に対する疑問提議であった。
 だが、私は自信を持って答えた。
 「私たちは軽い会話を教えたいのではない。平素の会話ができないという日本の英語教育の欠点は確かに指摘を受けているが、会話だけなら、現地で2年も生活すれば、大きな不自由はしないだろう。だが、しっかりとした教養があるか否か、正しい文法を学んでいるか否かを問われる現場が実際はあるのであり、学問としての英語学習が実は大切なはずだ」
 大して理解しているはずもないのに、わかったような偉そうな話をしてしまったが、ここは実は大切なことだ。
 使える英語を標榜し、ここに大きなポイントを置きすぎると愚かなる日本人が多すぎることになりかねない。
 語彙力・文法力に長けている日本人は、すばらしいのだ。
 ただ、学びたいという気持ちのモチベートがどのようにすればできるのか、というテーマは何より大切であり、語学力を上げていく一番の根幹のはずだ。 
posted by nishioka   全般    

08.11.25, 00:48

良い、悪いの判断基準

 正しいだの間違っているだの基準はどこにあるのだろうか。
 もちろん、嘘つくことや法に反する言動は悪いだろうが、それとて、時代が変化すれば、そこに呼応して変化するのかもしれない。
 ならば、自分自身に責任が持てるのなら、正しいとも言い切れないだろうし、結局は基準は各々にあるとしか言えない。
 今朝は朝一番の新幹線で東京に入って仕事をしたが、何が正しくて何が間違っているのかわからないような出来事に遭遇して、考えがまとまらない。
 ただ、いずれ、真実や正義は評価されるのであり、誤解ならば修正される時も来るだろう。
 いつも、真正直に生きていこう。
 そんな気持ちで仲間と夕食を共にしたが、やはり、友人は有り難い存在だ。
 直接、その話には触れなくても、大丈夫さ、のメッセージを送ってくれたような気がした。
 良い、悪いの問題ではなく、人様の為に生きようとしたことに偽り無ければ、絶対に大丈夫であると信じよう。

 それと、全く話は関係ないが、いつの間にやら、アクセス数は80万を超えたことを確認した。
 有り難くて仕方ない。
 しっかりとした主張しなければ、と言うより、益々普段通り、平服姿のメッセージを送ることを心がけよう。何らかのお役に立てるなら、それは私の幸せなことでもあるが、そのことを意識するよりも、まずは弊社従業員へのメッセージである色彩であることには違いない。
posted by nishioka   全般    

08.11.24, 00:56

刃を研ぐ

 七田チャイルドアカデミーの主催する講師研究会に出かけた。
 顧問の一人でもあるスポーツを含めた能力開発では知名度も実績もある児玉光雄先生のお話は特に興味深く、今後の教材開発にもまたその元となる理論にも、勉強になること満載であった。
 例えば、「一番、得意なもので勝負する」人こそ、リーダーになれる話は当然だが、面白い。イチローもタイガーウッズも一番得意なもので勝負したことに納得させられる。
 自分の得意技で勝負することに専念すれば、目の前に迫った仕事に目が向くのではなく、先を見据えた仕事ができるようだ。
 面白い逸話を話された。
 二人の木こりAとBがいて、同じのこぎりを使って、同じ太さの丸太を同じ1時間で何本切れるか勝負することになったそうだ。
 木こりAは1時間に4本切ることができた。
 木こりBはなんと1時間に8本も切ることができたそうだ。しかも、木こりBは、20分経過してから、切り出したのに、木こりAの倍も切ることができた。
 最初の20分は何をしていたのだろうか。
 それは、彼の得意技であったのこぎりの刃を研いでいたそうだ。
 なるほど、実力はさほど変わらなくても、目前に迫った仕事にかかりっきりになるより、得意技である刃を研ぐ作業した木こりBが実績をあげることになるのは当然かもしれない。
 もちろん、これは逸話であり、実話ではないだろうが、私は刃を研ぐことを忘れて、一生懸命が一番であることだけを信じて、がむしゃらに目の前にある仕事をしていることがある。
 今日、児玉先生は、そうはおっしゃっておられなかったが、刃を研ぐという行為は、正に自分の内なるメンタル面の強化を指す言葉でもある。
 得意技が何か自分で意識できるまでに、さらに努力の必要はあろうが、刃を研ぐ習慣を忘れてはならない。
posted by nishioka   全般    

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