08.08.31, 20:27

学院長バトンタッチ

 昨日のブログを受けてのつもりはなかったが、弊社スタートであったペスタロッチ学院の学院長のバトンタッチを明日1日付けですることとなり、ご挨拶をこの場を借りてさせて頂きたい。
 この度、2008年9月1日付けをもちまして、当学院学院長に樽井が就任いたしましたことをご報告申し上げますと共に、私よりご挨拶申し上げます。

 1987年、世間の常識も経営もそして、具体的な子どもを伸ばす術も知らないまま、「ただ子どもが好きで、関わっていたい」という気持ちだけで、ペスタロッチ学院は、小さな町「水無瀬」に産声をあげました。
 今、ふり返っても尋常とは言えない日々でありました。授業の準備に始まり、授業後は、プリント、テスト、ノートの添削、そして、再び、プリント、テストの作成、教材研究、保護者とのご面談に追われ、自宅に戻るのは、服の着替えと入浴、僅かな睡眠だけ。
 それでも、自分についてきてくれるスタッフや子どもたちの為と思うだけで、不思議と辛いと思うこともなく、日々が過ぎていきました。
 人は天職に巡りあうと本当に幸せだとよく言われますが、正に私にとっての塾は天職であり、感謝する日々であった気がします。
 ところが、徐々に世間の評価も頂戴できるようになり、自ずと指導させて頂ける人数も増えてきます。1学年100人もの子ども達をもちろん、一人で見ることはできません。
 ここで、人を育て、人に委ねるという新たな境地に入り、大きな課題にぶつかることになりました。
 それでも、当時は、毎夜毎夜、公式なミーティングではありませんでしたが、講師みんなが集まり、この子が今日はこんなことをした、とか、あの子の様子がおかしかった等ワイワイガヤガヤ。今思えば、最高の会議が毎夜行われていたような気がします。担当していない講師も含めてどの子の情報もシェアしていたように思えるからです。
 ところが、小さな教室が、会社という組織になり、スタッフにも家族が出来るようになり、私も教室の先生から代表、そして、小さいながらも会社経営者という変遷をたどるようになっていくのです。
 そして、全国組織である七田チャイルドアカデミーという幼児教育を専門にした会社のメソッドに共感を覚え加盟させて頂きました。
 私は、ここで教材開発に没頭し始め、今では私の24時間の大半を費やすことになりました。
 弊社の教室運営は、生徒総数600名を越え、従業員も40名近くとなりましたが、もちろん、今も私の基盤はペスタロッチ学院にあり、ここを大切にできなければ、自分の存在価値すらないとまで思っているのも事実です。換言すれば、私のエナジーの源泉であり、ここを巣立った卒業生達の顔が浮かぶとこの子たちの為なら、如何なる事でもできると本気で思えます。まこと、卒業生は「宝物」であると改めて感じます。
 ですが、現在、関連会社の代表も4社務め、自分自身の業務も多岐にわたる現況を見ると、このペスタロッチ学院の学院長に自分が座り続けることに疑問を感じ、数年が経ました。
 そんな折、一昨年、ペスタロッチ学院創業期のスタッフで尽力してくれていた樽井が弊社を一旦退職した後、大手学習塾であるK、そして、Sの教室長を歴任し、輝かしき実績を残し、再び、私の元に戻ってきてくれました。
 様々な理由がありましょうが、大手学習塾ではできない弊社の理念に共感したうえでの彼の選択だったようで、私も諸手をあげて喜びました。
 今や弊社従業員であり、手前味噌とはなりますが、彼は弊社を離れた8年で深い勉強を続け、大きくなって戻ってきてくれたと実感しています。
 とは言えども、まだまだ若輩者であり、皆様方のご指導なくしての今後の成長もございません。私が叱らねばならない場面もあるでしょう。
 しかしながら、創業期を含めたペスタロッチ学院の理念を最もよく理解しており、何より「子ども達の立ち位置」から常に物事を判断する彼なら、私の最愛のペスタロッチ学院を任せることが出来ると思えるようになりました。
 もちろん、私は学院長を退任いたしますが、今後も当学院が所属する株式会社キャニオン・マインドの代表取締役は私であり、より広い視点から関わっていく覚悟でありますし、一切の責任も私がもちます。
 何卒、今後も変わりませず、新しい学院長・樽井をよろしくお願い申し上げます。
posted by nishioka   全般    

08.08.31, 00:50

世代交代

 東京に入った。
 普段お世話になっている某会社の30周年記念パーティーに参加させて頂いた。
 とても心温まるパーティーで会長を始めとする従業員の方々のおもてなしの気持ちを十二分に感じることが出来た。
 しかし、どうしてもひっかかる事があった。
 会社というのは、創生期・黎明期・途上期・成熟期・衰退期を通しての一生があるようだ。衰退期を迎えない会社はいつも世代交代をしっかりしている企業であり、ここが一つの大きなポイントであるだろう。
 本日、お祝いの式典に参加させて頂いた会社もこれまでの社長が会長職に就き、ご子息が社長に就任するお披露目であったが、どこか、未来への強いビジョンが無かった気がしてならない。(もし、このブログ読まれたらごめんなさい)これまでの会長が築いて来られてきた足跡を追った式典であり、強いリーダーシップを見せてくれれば良かったのに、少々残念だった。
 では、私の会社はどうだろう?
 しっかりと世代交代の準備をしているだろうか?
 本日の式典でもあった会長のお話しが耳に残る。「創業時はふり返る間もなく、駆け抜けた」
 私もそうだ。
 何が良かったか、何が悪かったか、よくわからないが、休む間もなく駆け抜けたのだ。
 この創業時の苦労を知る人は今は少ない。
posted by nishioka      

08.08.29, 22:34

人を「理解する」

 人は「理解する」と幅が広がり、大きくなれるって知ってますか?
 もちろん、学習はだれにもわかる例であり、「わかった」と思い、「理解」が定着すると、「知識」という見返りと共に幅を広げる。
 だが、もっと「理解する」ことで人間としての器が広がるのが、人を「理解する」ことだ。もちろん、どこまでも「理解する」にはキリがないだろう。そんな哲学的な話ではない。
 「許せない」と思ったり、「腹がたつ」と感じるのは、考えてみれば、自分の定規にあてはめた結果の事であり、その定規を代えると、全く「腹がたつ」ことにはならない例も決して少なくないだろう。
 自分の持つものさしを代えるには勇気さえいることもあるが、代えるとその人の器も大きく変化するはずなのだ。
 人を「容認する」=「理解する」という意味だ。
 今、自分の目の前にいる困った人は実は、あなたを大きくさせてくれる為に現れた人だと本で読んだことがある。
 最近、なるほど、そうなんだ、と思うことがしばしばある。
 大きくなんてなれなくて良いから、困った事にならない方が良いと思う人もいるだろう。
 しかし、指導者である仕事に就いた人は、大きな器であればあるほどすばらしい。
 ものさしを代えて、理解してみようとチャレンジするだけでも良いかもしれない。
 自戒の意味も含めて、提唱したい。
posted by nishioka   全般    

08.08.28, 21:43

きらきら・わくわくの条件

 人はどんな条件が整えばキラキラして見えるのだろうか?
 或いは、ワクワクするのだろうか?
 各々によってその具体的な条件は異なるだろうが、何らかの共通項はあるのだと思う。
 お金など物質的な満足や恋愛はわかりやすい例だろうが、もっと深いものがある気がする。
 一つ間違いない条件は「認められて動く」ということだ。
 人間は他の動物と異なり、行動において社会学が成立する生き物であり、どれだけ一方からの観点で見れば「悪」であろうが、他方「認められた行動」であれば、如何なることも行動として起こし、しかも、輝いてしまう。
 この度のアフガニスタンで起きた伊藤和也さんの殺害も単純に「悪」だと言い切れない事情もあるだろう。依然具体的な情報は明らかにされていないが、背景には、反政府武装組織タリバンの関与はあるのだろう。
 もちろん、こんな事で輝いてもいけないし、ワクワクするのも完全に間違っているが、「認められる」場があれば、人は過ちまでも犯してしまうのだ。
 家庭においても、親が子どもを、主人が奥さんを、或いはその逆も含めて「認めて」あげているだろうか。
 社内においても、上司が部下を「認めて」あげているだろうか。
 何もできていないのに、「認めて」やれるか!の声も頷けるが、まずは、存在そのものを「認めて」あげてスタートしなければならない。
 信じられる存在に育てるには、信じることからスタートだ。
 自らの反省を込めて、ブログに記す。
posted by nishioka   全般    

08.08.27, 21:01

国語辞典の効果

 昨夜、ブログで「記憶」について少し意見を書いたが、この「記憶」と密接な関係にあるのが、実は「速読」である。
 以前にも書いたが、「速読」と言うが実は「速視」と呼ぶ方が適切であり、読んでいては、「速読」にならない。素早く、見て、その中にある語句を頭の中に放り込んでいく作業をするのが、「速視」だと私の中では定義づけているし、実際に私はその方法を使っている。
 この際に、様々な語句を「記憶」していく作業と並行して読む(見る)という作業も行うのである。
 この練習にもっとも効果的だと思えるツールが実は国語辞典の早引きなのである。
 この数年、立命館小の深谷圭助先生が、低学年からの国語辞典使用を提唱されておられ、本も何冊も出版されている。
 先生は、辞書を引いて、その引いた語句に付箋を貼られておられる。達成感もあるし、良い方法だと思うが、私は、既にもう10年以上前から、全く違う取り組みをさせている。
 それは、1年生・2年生では語句の意味調べはさせない。
 特定の語句を示して、それが何ページに載っているか、だけをゲーム感覚で競わせる。
 毎週、この取り組みを行うことで、当然、引くスピードも速くなってくる。速くなれば、辞書を引くことにストレスがなくなるので、本当に意味調べをするのに能動的になれるわけだ。
 そして、この際に、言葉を多く見るページめくりの練習もさせる。
 近年、電子辞書の普及により、特に英和辞典を使用する頻度が減ってきているようだ。確かに音声にも対応しており、引く時間も少なくなるような工夫もされているが、大きな落とし穴にまだ教育関係者も気づいておられない。
 それは、昨日の私のブログ「記憶」の中で触れた「想起」が電子辞書では訓練できないのだ。
 なぜなら、電子辞書では、いつも用語が出てくるところ、意味は同じ場所に文字が並ぶ。ところが、辞書を多く引いた人なら、必ずご経験があると思うが、ある単語の意味が思い出せない時に、ふと、例えば、「右のページの下あたりに載っていたなあ」のような「想起」が第一段階で起こり、そして、その後、本当に映像で思い出すように載っていた字句を「想起」する経験である。
 この訓練は、「記憶」や「速読」には有効であることは間違いない。
 そう言えば、三省堂さんが、この秋、小学生用の国語辞典にはすべてルビをふられて、改訂されるそうだ。
 低学年での国語辞典使用が一般化されてきたようだ。
 あせるお母さんは、すぐに購入し、「意味を調べなさい」とせきたてる。子どもは、国語辞典はまどろっこしいし嫌いとなり、やがて、国語辞典は使用されないオブジェと化するのだ。
 ストレスのない状況に早くもっていってあげたい。
posted by nishioka   全般    

08.08.26, 20:23

記憶力と感動体験

 私がこれまで研究し、指導させて頂くにあたって、大きなテーマとしてきたことに「記憶」がある。
 どうすれば、記憶力があがるのだろうか?
 なぜ、記憶力が良いとか悪いとかの違いが起こるのだろうか?
 そもそも記憶には、3つの段階があると言われている。
 情報の入力の「記銘」、その情報を覚えておく「保持」、そして、実際にその情報を出力する「想起」の3段階である。
 当たり前のことだが、入力されない限り、保持も想起も起こりえないのである。
 では、この「記銘」に必要な条件は何だろうか?
 それは、感動や驚愕などの心の動きが必要であると最近、特に感じるようになってきた。
 年齢を重ねると、記憶力が落ちるのは、当然、脳細胞の減少も否めない事実だろうが、実は、感動体験が減ることが大きな要因だと推測される。
 そうであるなら、幼児期において、記憶力を高める大きなキーワードになるのは、感動体験を多くさせることであろう。
 育てる周囲の人たちが、何か起きた時に、「そうなの!すごいわねぇ!」と心を動かせることだ。
 心が動かされる、即ち、英語ではうまく表現されているが、"be moved"の状況こそが、「記銘」には必須だと記憶しておいてほしい。
 もちろん、お母さんにも性格があるので、そんなに大袈裟な表現はできない人も多くおられる。
 心配は無用である。
 乳・幼児期には、戸外に出ることだ。
 そこには、予測できない自然の起こす現象があふれている。
不思議だと思う出来事に遭遇する可能性も室内より遙かに多いのだ。
 人間は、当然動物であり、自然と共に進化してきた事実を忘れてはならない。決して、進歩した科学の恩恵で進化したのではない。
posted by nishioka   全般    

08.08.25, 23:07

本当のホスピタリティ

 このブログでも過去度々登場する「ホスピタリティ」について、再考察してみたい。
 本日の全体研修の中でもこの事については、全員の前で話してみた。
 「ホスピタリティ」とは「おもてなしの心」と換言できるが、決して、過剰サービスであったり、迎合の気持ちとは異なる。さりげないおもてなしだが、心にジーンとくるもの、それがホスピタリティだ。
 例えば、教室経営なら、ホスピタリティを出さなければならないのは、絶対的にレッスンの中であり、その前後で奇をてらったようなサプライズをホスピタリティと呼ぶのではないのだ。
 「あなたのことを一生懸命、真剣に想っている」心が相手に通じれば、十二分に「ホスピタリティ」と呼べるはずだ。
 感動は手品でもサプライズでもない。
 私がしたいのは、しなければならないのは、当たり前のことを当たり前に確実にしっかりとやるべく事であり、これこそが、「ホスピタリティ」と信じている。
 だが、自分自身でも抜けていることが多く、後の祭りとなっていることもある。
 模範となるべく人間に成長できるよう、日々精進である。
posted by nishioka   全般    

6313134