08.05.31, 00:22

気遣い

 決して、公開される特性のブログに書く話題ではないと思いながら、正直に吐露しよう。
 夜、従業員と話していたら、「今日、スタッフに怒ったんですよ」と話し始めてくれた。
 どうやら、来客があると知りながら、その準備が万全でなかったこと、レッスンの見学をされている方に椅子の用意もしなかったこと、総じて言えば、人に喜んで頂くことを旗印にした会社でありながら、その実践が出来ていない現状に悲しくて、怒ったのだそうだ。
 とてもよくわかるし、スタッフにその話をすると、真摯に耳を傾けて聞いてくれた。
 人が出来ていないことはよく目に付くが、トップの私なんぞ、自分では気づいていないところにミスもよくある。
 でも、完全なんてありえないし、昨日は気づかなかった事が今日は一つでも意識して修正できれば、それで良いのである。
 会社に従事し、働くことは、イコール生き方を問われていることだと以前にもこのブログで書いたはずだ。
 人への気遣いを意識していくことで、習慣化できるようになることもある。
 気遣いって、自分一人では生きていけない事をよく認識しているからできるのかもしれないし、だからこそ大切にしなければならない。
 そして、その気遣いが通じる喜びを知って欲しいし、人から受けた気遣いに対し、素直に有り難いと思えることを忘れないようにしたい。
 素敵に歳をとって、素敵な顔をしている人は、皆、一様に気遣いの出来る人であるに違いないし、そんな人になりたくて仕方ないのである。
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08.05.29, 19:43

優しい社会

 知人が自転車事故で怪我をしたと聞いた。
 知人は歩行中で加害者が自転車だったそうで、腕に相手が当たって大きく腫れて内出血しているそうだ。余りにも痛みも激しいので、医者へ行くところで、電話で話した。
 私は思わず「先方の住所など聞かれていますよね!」と聞いたところ、想像もしていなかった返事に驚いて何も言えなかった。
 「相手の人もその勢いで倒れて、すねはぱっかり割れて血も出ていたので聞けるはずもなかったんですよ。」大丈夫ですから、と言うのが精一杯と言われるのだ。
 私なら、自分に非がないのだから、先方の身分を聞き出して、怪我の保障は求めたことだろう。
 確かに頭を打つような大事だったら、などとは思うが、本当にその怪我の保障をしてもらうことは大切だろうか?
 先方も怪我をされているのに、それ以上の事が言えない優しさが報われることはないのだろうか?
 よく考えてみると、いつのまにか、自己防衛が先に立ち、「責任所在がどこにあるのか」や「保障はどこがするんだ」などをいつも明確にする習慣がついてきて、本来あったはずの優しさを見知らぬ人には、ださなくなってしまったんじゃないか、そんな思いがした。
 訴訟社会を迎えているが、元々「お互い様」の精神があれば、「ごめんね」で終わることもたくさんあるのかもしれない。
 何を守る必要があるのだろうか。
 「ごめんなさい」「いえいえ、こちらこそ」そう言って握手できるのが優しい社会であるはずだ。

 知人の優しさを神様が見ていないはずはない。
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08.05.28, 22:31

原点に戻る

 一昨日のブログ「子どもを育てる」を読んで頂いて、障害を持つ三人のお母様から、気持ちが共有できるコメントを頂戴し、こちらが逆に有り難いと心から感謝している次第である。
 一人のお母様からのメールの一部抜粋をご紹介したい。
 
 『子どもは、実は 生まれた時仮死状態で生まれ、そして 心臓も悪く すぐに 手術をしなければ命のない子でした。おまけに、術後も悪く 内臓がむくんでしまって 肋骨が閉められず 胸を開けたまま3週間いたんです。あの時の気持ちは、今でも 鮮明に覚えています。この時、明日の命も分からなかったんです。そして、脳の方も萎縮していて、障害が残るかもしれないと言われていました。 それで、今に至っています。
 現在、他のお子さんと同じように 学校へ通っていますが、頭では わかっていても 現実を突きつけられると、たまには 落ち込む事があります。でも、そんな時には 生まれた時の3週間を思いだすんです。そうしたら、自然と元気が湧いてくるんです。私は、子どもを通して命について、考えさせてもらった。子どもを通して いろんな方と出会う事ができた。そして、些細な事での喜びを何倍も大きく感じとる事ができる。
 私は、あの時 死んじゃっててもおかしくない子が 今 ここにいてくれる事、私を成長?させてくれてる事に感謝しています。』

 読み終えると、涙が出た。
 同情の涙ではなく、背筋の伸びた母の強さへの畏敬の気持ちのようなものに対する涙である。
 だが、同時に、時々、現実を突きつけられる時に後ろ盾に自分たちがなれれば、の思いを強くし、自分たちの使命を改めて感じる次第である。
 だれもが背筋を伸ばし続けることはできない。めげそうになって倒れる寸前までいったり、或いは本当に倒れる時さえあるかもしれない。
 その時、原点に戻ることを横から囁いてあげたい。
 この命の鼓動が今も継続している、そのことだけに感謝すれば、どんな問題も全て解決である。
 この苦しみがあなたにわかるはずがない、そう思われる読者もおられるだろう。確かにそうかもしれない。
 でも、長い歴史の広い世界の中で、親子として巡り会った事実に感謝せずに、明日はない。
posted by nishioka   全般    

08.05.27, 23:19

就職セミナーで熱く語る

 弊社としては正式には初の参入!
 これまでも新卒者の弊社への就職はもちろん多くその例もあるが、来春卒業の現在4回生の学生諸君を集める就職セミナーに出展企業として参加させて頂いたのは初めてである。
 おそらく、我が社が一番小さな会社かもしれない。
 大きな会場に全部で40社近くが参加されていたが、そこに集う学生たちの目は一様に真剣である。
 世間で言われるやる気のない学生の香りは全くしない。少し皮肉もあるが、一様に同じ色のリクルートスーツに身をかためた彼ら彼女らに個性などない・・・いやいや、服こそ同じだが、一人ひとり違うオーラを発している。
 私が会場に入ると、既に始まっており、その学生達が集う会場の中にある小さなブースが何と活況を呈しているのだ。間違いなく、我が社のブースである。身内びいきと一笑に付されるだろうが、我が社が一番多く集まっている気持ちさえする。
 会場の担当の方に伺うと、「人事のご担当の方、熱く語っておられるので、学生さん達も聞き入っておられますよ」
 確かに、いいぞ!!熱いのは大好き!!
 私も熱さでは負けてはおれない。
 しかし、話すことなど事前に何も考えていない。
 学生さん達を前にしたときに思いついた本音を本気で話せば良いのである。
 「教育の仕事って、本当にすばらしいんですよ。一生懸命、目の前の子どもや保護者の方を考えて、どうすれば成長できるか、どうすれば喜んで頂けるか、行動すれば、いつか、必ず認めてもらえる。それがお給料になり、仕事となる。売上げや利益など今は考えなくていいんです。これは綺麗事じゃない。だから、就職活動も自分を飾ることはない。本当にその会社でお世話になりたいと思ったら、本音で本気になってそのまま話せば良い。スキルに走るなと言いたい。それで断られたら、その時、縁が無かったということ。内定を頂戴した、すなわち、ご縁を頂けた場所で一生懸命頑張ることが大切である。
 働くというのは、佳き生き方の実践をするということとイコールである。如何に生きるか、如何に幸せになるかという問題と同義である。
 だから、お金を頂戴する人には頭を下げて、支払いをする人には横柄であっていいわけはない。会社に足を運んでくださる人全てに喜んで頂きたい気持ちを十分に伝えることが大切だ。そのことに賛同してくれる人にエントリー頂きたい。
 6月21日・22日は今度は弊社内にて会社説明会を行うので、是非、予約のうえ足を運んで欲しい。
 真剣な表情で聞き入ってくださったことに心から感謝したい。自分の思いを語らせて頂けて、心から嬉しかった。
 ここまで言ったのだから、私もその模範となるべく生き方をしなければ、と心に誓うのである。
 目の前の人たちを幸せにしたい。喜んで頂きたい。
 偽らざる自分の本音である。
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08.05.26, 23:49

子どもを育てる

 弊社の教室には、多くの障害を持つ子どもたちが通ってくれている。
 その障害の程度は本当に差があるが、講師達は一様に特に障害を持つ子ども達にはエネルギーを注いでくれている。
 「賢くしてあげたい」などという漠然とした希望ではなく、「一人で自立して生きて欲しい」という切実な親の気持ちを講師達も知っているからである。
 今日はある重度の障害を指導させて頂いている講師からとても素敵な話を聞かせてもらったのでご紹介したい。
 生まれた時には、今後、一生、お母さんであると子どもが認識出来ない可能性もありますよ、と医者から宣告されたケースである。
 年に一度あるそんな子どもを持つ親御さんの大きな集まりがあるそうだが、そこで、私どもの教室に通うお子さんは、いなくなったお父さんを捜して、大きな声で「お父さん!」と言ったそうで、その場内は一瞬にして雰囲気が変化したそうだ。どうして、そんな事が言えるのだろうか?と皆で驚愕されたとのこと。
 では、どうして、その重度の障害を持つお子さんがそこまで変化されたのだろうか?
 結論から言えば、どれほどすばらしい教務プログラムを用意しても、この子にまで成長できなかったと言えよう。
 端的に言えば、「お母さんの子どもを見る目」である。
 講師に聞けば、お母様は、毎週レッスンに来られるたびに「こんなことができるようになったんですよ」と些細なこともプラスにとられえて、楽しそうに話してくださるそうである。
 どうだろう?例えば、毎回、「こんなこともわからないのです」と言われるお母さんに育てられることと、「こんなこともできるようになったんですよ」と話されるお母さんに育てられることが違うのは、だれにもわかることだと思う。
 子育て真っ最中のお母さんは頭でわかっていても、それが実践できる人は多くない。
 障害を持つお子さんを育てる特別のプログラムなど存在しない、というのは事実である。
 障がい児を育てるためのプログラムの研究をしているうちに、これは障害をもつ子どもだけに成果が上がるものではないことに気づき始め、一般の子ども達のプログラムとして世に出始めたというケースも多い。
 「こんなこともできるようになった」そんな目で子どもをみつめてあげてほしい。そして、それを声にして、子どもを抱きしめてあげてほしい。
 大きな愛はたくさんの奇跡を起こすのである。
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08.05.25, 20:29

本来の「勉強」

 生き方を学ぶ人間学という観点から、小学生にも理解できる偉人の紙芝居を作成している。
 今日は菅原道真を作成した。
 色々調べていると、これまで知らなかった事もわかり、実はこの作業が楽しい。
 「勉強」とは、与えられた事実を暗記することではないのだ。自ら調べて、理解できない部分を少しずつ埋めていく作業を言うのであり、それはそれは楽しいことなのである。
 もちろん、調べていくのに、或いは理解するためには、与えられた事実を暗記することも必要なのだが、この事だけを「勉強」と勘違いしている人は少なくない。この暗記は「勉強」を楽しむための過程においては大切なのだが、本来の「勉強」ではないことを肝に銘じるべきなのである。
 私は、今もこの「勉強」をしながら、これを生業とできる誠に有り難い状況下にある。
 日曜日だが、スタッフも出勤し、静かな事務所で仕事ができる喜びでいっぱいだ。
 今日は、奇しくも「学問の神様」の恩恵に感謝である。
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08.05.25, 07:27

空気を読む

 昨夜は食事もせずに急ビッチで飲み過ぎたのかもしれない。
 とにかく、ブログも書こうとはしたが、そのまま眠ってしまった。
 「空気を読む」ことについて触れてみたい。
 私は、とても不思議だが、その場に入ると、これまでそこで繰り広げられていた内容はわからないが、所謂、空気、雰囲気はすぐ肌で感じてしまう。
 極端に言えば、今、みんなが笑っていても、それまで喧嘩していれば、その空気を感じてしまうのだ。
 だから、今後、流行るお店、すたっていくお店も何となく感じてしまう。
 この能力って凄いでしょ!
 友人もこの事実を話すと、どうしてわかるんだ?!と不思議がる。
 しかし、自分が関わる場になると、これがわからないから、何のメリットもないわけである。
 更に言えば、空気が読めない人を称してKYなどと言われるが、自分が関係する事に関しては、いたってKYかもしれないから、何のメリットどころか、デメリットを感じるのである。
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