07.10.31, 22:25

インド児童労働虐待

読売新聞の本日付け夕刊を読んでいて、事実として知ってはいたが、考えさせられた。
 インドにおける児童労働虐待が報道されていた。
 写真は、インドのバンガロール郊外にあるレンガ工場で、やせ細った少女達が黙々と頭にレンガを載せて運んでいるのだ。
 14歳以下の子ども達が危険な職場で就労することを法律で禁じているが、子どもの方が大人の半分以下の賃金で済み、扱いやすいため、ほとんど守られていないのが実態のようだ。
 インドで働く子どもの数は推計で1億3400万人もの数で、世界全体の約半分を占めるとと言われているが、親が作った借金のかたに無給で働かせるケースが多いという。
 一番の問題はどこにあるのか。
 労働に携わる子ども達は親の愛情を受けず教育やしつけとも無縁だそうである。
 成長期に酷使され、身体的にも精神的にもすさんでいき、社会復帰するには、相当の努力と時間が必要だろう。
 愛は受けた者だけが別の者へ出すことのできるのであり、愛を頂戴できなかった子ども達に優しさを求めても難しい。
 だから幼児教育が大切なのだと声高らかに言いたい。
 それにしても、経済成長著しいインドには別の顔も持っており、この子ども達なくしては経済成長が語れないようなら、経済成長など無い方が良いほどである。
 メンタルな部分でも、成長しなければならないインドではあるが、私はこのインドのために何が出来たのだろうか?などと考えると胸が痛む。
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07.10.31, 01:07

講師研修

 我が教室もしっかりできているわけではないが、某教室の講師研修に講師として招かれ、出向いた。
 自分の教室のレッスンに代講をたてたことは残念だったが、大変有意義な時間を持つことができ、このような機会を頂戴できたことに心から感謝している。
 自分がテーマを与えながら、一番学んでいるのは他ならない自分なのである。これは、お月謝を頂き、レッスンをしながら、最も学んでいるのは自分だなあとよく感じるが、「教育」とはいつもそうであるものなのだろう。
 相手の責任にせず、自分に刃を向け、そのうえ、共感することで、相手が変わるのが原則である。そこにスキルなど存在しない。一生懸命、正面向いて、相手に自分の気持ちを伝えようとするだけで良いのだ。継続したその姿勢は、やがて、仲間を作る。仲間が助けてくれ、後ろ盾となってくれる場合さえ出てくる。
 子どもの教育だけではなく、対人関係においての原則論である。
 私たち「講師」という仕事は、日々、そんな場面に遭遇できるすばらしい仕事なのだ。
 少しでも、今日の皆さんにその気持ちが伝わってますように・・・。
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07.10.29, 17:15

鯖江教室

 福井県の鯖江という失礼ながらとても都会とは言えない町にやってきた。
 ここに七田チャイルドアカデミーの教室があり、開校わずか1年余りで、生徒さんは既に80名を越える規模に成長されていると伺い、お邪魔したのだが、入り口の雰囲気からとても気持ちよいことは、だれも否定されないだろう。
 とにかく、オーナーの長谷川先生は、いつもニコニコされているだけではなく、悔しいほど「イケメン」であるが、前職は店舗設計を含めたマーケティングやコンサルティングをされていたとのことで、なるほど納得!
 だが、教室の作り方は参考になることばかりだったが、事務室にかけられたホワイトボードに書かれた予定をみて、納得は確信へと変わった。
 ところどころに「面談」と書かれてある。
 お母さま方とコミュニケーションをしっかりとることは、基本中の基本である。
 この男前の先生に笑顔で、「頑張りましょうね」と言われれば、みんなも、ニコッとするだろう。
 もちろん、レッスンの取り組みにも、努力されていることはあるだろうが、この場所は理屈抜きに気持ちよい。 
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07.10.28, 23:53

年金問題

 乗車したタクシーの運転手さんに尋ねた。
 「景気はどうですか?1日の売上げは変化していますか?」
 乗るたびに失礼ながら尋ねてしまう。興味本位の質問ではなく、景気のバロメーターがタクシーでわかる、と思っているから聞くのだが、この数年、同じ回答が繰り返されている。
 「もう、景気が悪いことには慣れましたよ。日に5万円も上がることはもうありませんよね」
 ご存知の方もいらっしゃるだろうが、タクシー会社によって異なるが、ざくっと、売上げの半分が実質的な取り分である。
 東京や名古屋と異なり、大阪のタクシーの運転手さんは、年収300万円時代の到来とまで言われるほど冷え込んでいる。
 育ち盛りのお子様をお持ちの運転手さんなら、生活が成立しないと嘆かれることも多い。
 しかし、こういう答えられ方も多い。本日もそうである。
 「私ら、年金受給者は稼ぎすぎても年金がもらえないから、これぐらいでいいんですよ。多くなりそうだったら、無理に休みますね」
 まだまだ第一線で働ける有能な労働者に日本はシステムとして仕事をさせない環境を作っているのである。
 「働くと損」などと思う労働システムの構築は日本経済の発展を阻害するもの以外に他ならない。
 若い頃によく仕事をして頂いたご褒美としての年金に異論はないが、働ける人に故意に仕事を休ませる現状には納得できない。
 もちろん、私が還暦を過ぎる頃には、そんなおいしい話など古き良き日本の話と一笑に付する話題となりそうだが、真剣に年金問題を考えてシステムの変更を希望する。
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07.10.28, 00:51

健康

 塾部門でお世話になっている他の塾のオーナーが先月に倒れられた。風邪をこじらせ、ウイルス性の脳炎となり、肺炎も併発され、一時は意識もなかった。
 本日、「高進会」のメンバーである塾の先生方お二人と私とで、意識も戻り快方に向かっているその先生の入院するお見舞いへ伺った。
 予想以上に元気そうでとても嬉しかった。
 それでも大切なこの時期に入院となり、「大変辛い」と言われていた。
 元気な身体あっての仕事であるが、私も昨年の自分の入院を思い出した。
 私の場合は、毎日、ノートパソコンを持ち込み、結局、消灯後も一人食堂へ向かい、仕事ができた。その環境も助かったが、何より、入院はしていても、その行動を起こすことができる自分の身体があってのことだ。
 失って解る有り難さは世の中に多いが、その代表選手が「健康」であるに違いない。
 与えられているものが日々当たり前になると、忘れてしまう。
 私の場合、「健康」と共に「家族」もその一つかもしれない。もちろん、忘れる時など、一日もありはしないが、もう少し家族と過ごせる時間も忘れてはならないし、作らねばならない。
 一日も早い、今日お見舞いした先生の全快を心から祈念する。
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07.10.27, 01:09

弱音・愚痴・文句・批判

 本当に私は恵まれている。
 そのタイミングでなければならない時に、良きアドバイスを頂戴でき、更に次のステップを踏もうとするエネルギーが湧いてくる。
 ネガティブになる時は、有り難いことだが、あまりない。すぐに気持ちを取り直すことができるのだが、知人の某先生から、大変、有り難いお言葉を頂戴した。と言うより、私の留守番電話にメッセージを入れてくださった。
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
 我が身を犠牲にするだけの覚悟があって初めて、活路も見出せる。我に執着していてはなかなか道は開けてこないというのである。
 私が今するべきことが何なのか、イメージできた感じがした。
 そして、「弱音」は自分に対する言葉だから、どんどん吐いても良いが、「愚痴」は他人に対する言葉だから言ってはならないお話も頂戴した。基本的には、私は「弱音」「愚痴」どちらも余り好きではない。
 だが、その先生は更に続けられる。
 「愚痴」が攻撃的になると「文句」となり、一瞬賢げな感じはするが、誤った形が「批判」となるので、気をつけなければならない、とも教わった。
 何かとても腑に落ちる話だった。
 「文句」や「批判」は好きだから、心しなければならない。
 
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07.10.26, 02:47

自ら謝罪!

 今日一日、色々な場面で謝罪があり、「謝る」行為の大切さを改めて知った。
 まずは、詳細は言えないが、若干、確執があった方へ、私から架電し、私から「謝罪」した。
 もちろん、今も私が悪かったわけではない、と思っている。だが、配慮に至らぬ所もあったことを素直に「謝った」のだ。
 すると、先方の声は一変する。
 当初の構えた声から受け入れる優しい声へと変化する。
 思わず、「えっ?」と思いはしたが、とても気持ちよい。
 「どちらが悪い」などと小さな了見でいると意地ばかりが見え隠れし、温かい気持ちにはなれない。漱石の一節ではないが、「意地を通せば窮屈だ。とかく、人の世は住みにくい」。
 そして、本日は夕方から、会議が大阪であったが、少し早く着いたので、デパートに寄り、急いで服を購入しようとした。
 店員さんは、先客がおられたので、「少しお待ち下さい」と言われた後、すぐにこちらに来られて、採寸をとろうとされた。
 そして、暫く私と談笑していると、横からその先客だった方が、急に「おまえ、わしが先やろ!」と強い威嚇で今にも殴りかかろうとこちらを睨まれた。
 私には、全く何のことかわからないし、ましてや、私が「先にしてくれ」などと言った覚えも全くない。
 今思えば、非常に恥ずかしいのだが、思わず、「こら、ふざけんなよ、こっちへこんか!」などと自分の口とは思えないせりふが飛び出し、ここは一発入れてやろう、とエキサイトしてしまった。
 こんな公の場所で見知らぬ人と殴り合いをしても仕方ないのだが、そんな気持ちとなった。
 驚いたのは、もちろん、その店員さんである。右往左往、「私が悪かったのです。お許し下さい。」と言われ、さらに、その先客に向かって、「こちらのお客さんには全く責任がないのです。本当です。お許し下さい」と言われている。
 確かに店員さんが先客の方を待たせて、私に応対された行為は相手に怒られても仕方ないかもしれないが、この店員さんを困らせる行為も全くもって、愚かである。
 困惑されている店員さんを前に、私は静かに言った。
 「おじさんの怒られる気持ちは理解できましたが、本当に私は何も知らなかったのですよ。ですが、興奮しまして、失礼しました」
 その方の上気した顔つきが一瞬にして、柔和になった。
 「いえいえ、謝らねばならないのは、私の方です。あなたに何の非もないのに、本当に許してください」と言われて、右手を差し出された。
 愚かな大人二人の握手である。
 そして、その後、何度もそのおじさんは、すまなさそうに、そして、はにかみながら、「本当に悪かったよ、お許し下さい」と連呼される。
 「いえいえ、お互い様ですから」私も気持ちよく答えた。
 人の関係も国の関係も同じである。
 妙な意地は何の働きもしない。
 喧嘩になるのは、どちらにも何か問題がある場合が多いだろう。
 「すいません」の一言が、友好に大きく寄与することは間違いない。
 もちろん、拉致問題をとりあげない韓国の太陽政策には賛同できないが・・・。 
posted by nishioka   全般    

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