07.08.31, 00:31

総合学習の削減

文部科学省は、小学校の「総合的な学習の時間」を削減し、主要4教科(国語、社会、算数、理科)と体育の授業時間を約1割増やす方針を固めたそうだ。
 また、高学年を対象に週1時間程度の英語活動を新設するなどして、年間の総授業時間は低学年で70時間、中高学年では35時間程度増える、とのこと。
 小学校の授業時間が増えるのは77年の改定以来30年ぶりだそうだが、このニュースを読まれた方は如何に思われるだろうか。
 中には、「授業の時間が増えて可哀想」と思う方と「もっと厳しくしっかりとした授業を増やして欲しい」と思う方の両端に分かれるかもしれない。
 しかし、私はどちらでもない。
 増やそうが減らそうが量的な問題にフォーカスしているだけでは、学力低下の潮流を停めることは難しいだろうと考える。
 そもそも今回削減の対象となった「総合学習」の時間は当初から危惧された通り、余りにも自由で中身の指針が無かったので、教える側の教師の力量で内容の濃淡に差が出すぎた。と言うより、一部を除けば、内容の無い時間の経過となってしまった、と言えよう。
 ところが、教える側はそこに反省をし、総合学習に対しての研究を積まず、安閑としてあぐらをかいてしまったのも事実である。
 もちろん、教師をしている私の友人を見てもそこに個性を反映させ、努力をしている者もいたし、インターネットの教員サイトを見ていても、凄い努力で頭の下がる方も大勢おられる。
 だが、結果としては、学校だけの責任ではないとしても学力低下を招いてしまった。
 授業時数を増やそうが、学級経営そのものの研鑽を教師がまず積まなければ、改善はされないだろう。
 不思議なことに、過去、学習指導要領を改定すればするほど、学校が荒廃し、学力の低下が進んでいった。
 「教育は国家100年の計」と言われる。
 如何なる国家を作るのか、ビジョンを立て、教育は初めて語られるべきである。
 如何なる国民を育てるのか、指針を立て、教育は初めて論じられるべきである。
 現状への対応ではなく、100年先の対応を行うのが教育であろう。
 上記の観点から言えば、私は、総合学習という枠組みを削減させたことは、現状の講師力がないことを国が承認しただけにすぎないと考える。
 結局、国語・算数・理科・社会などという現行の教科というカテゴリー以外の新たな枠組みを知らないのであり、考えることが出来ない人たちがトップにたたれているのだと思う。
 私のように国の補助と規制を受ける立場の無い者にとっては、やはりチャンスと使命がまた広がったと言える。
 「能力開発」という大きな枠組みを教科の一つにまで広げる目標で邁進したい。
posted by nishioka   全般    

07.08.29, 20:39

講師の仕事

 幼児教室や塾で働く講師に経営的な感覚が必要か?
 もちろん、yesである。だが、経営というのは、先に金銭ありきの世界で物事を考えるという意味ではない。
 目の前にいる子ども達や保護者の事を本気で考えて行動すること、これが第一である。換言すれば、顧客の立場に立つこと、顧客満足度(CS)をあげることとも言えよう。
 弊社で言えば、能力、成績をあげることは言うまでもないが、実は、そんな表面的なことだけを指すわけではない。奥の深い世界でもある。講師の仕事は、子どもたちと保護者の方々の声に耳を傾けることでもある。
 次に講師は教えることだけが仕事ではなく、教えることは、教えられることでもあり、その喜びと感謝を常に感じることの出来るハートを持ち合わせることである。感性のある個性を磨くことである。
 そして、最後に勉強ほど楽しいことはない、と自らも勉強に励むことである。
 そうすることで自ずと代価である金銭も享受できると私は考えるのである。
 先にお金に走っていては、顧客の声など聞こえない。
 毎日が本当に楽しい。
 でも、上記は私も肝に銘じておかねばならないことである。 
posted by nishioka   全般    

07.08.29, 02:47

夏休みの宿題

 ブログに書くか否か迷いはあった。
 だが、恥を忍んで書くこととしよう。
 私の住む高槻は今年度から小学校が二学期制の導入で、恒例の9月1日が2学期の始業式ではなく、今は前期の途中であり、明日から学校は始まる。
 とは言え、もちろん、夏休みの宿題はそれなりにある。
 我が家の次男の宿題の量も生半可ではできない量であり、それなりに厳しいな、と感じたのがお盆の頃であった。
 それにしても、この二日の彼の学習量は凄まじい。
 当然である。殆どをこのラスト二日で仕上げようとしているのである。(過去形ではなく、現在形であることに注意!)
 何と、今は、午前2時半を回っているが、まだ机に向かっているようである。昨夜も午前3時だった。
 さすがに我が子。期限が迫った際際でじたばたし始める。
 きっと、彼は、宿題を残したまま、学校へ行くことになるのだ、と思っていた。ある意味、平気で行けるなら、それも良しか、などと思っていたが、実は、律儀なのか、小心者なのか、仕上げようとしたのである。
 明日は始業式ではなく、通常授業もあると言うのに、少ない睡眠時間では、身体は心配だ。だが、自業自得。苦労しても頑張り抜くしかない。
 それにしても、この子。一体、だれに似たのだ?
 そう思いながら、私も明朝期限の仕事を仕上げようとしているのだから、似たり寄ったりか???
 「終わった!」と大きな声がする。
 ライバルに先を越されたようだ!!
posted by nishioka   プライベート    

07.08.27, 23:25

仕事

 昨夜は、東京や神奈川の七田の先生方も合流し、楽しいお酒を頂戴した。
 深夜に帰宅してから、アルコールの入った体にむち打ち、ブログを書き、メールチェックし、パソコンに向かって仕事をした。
 嫌いでしていたり、やらされてしている仕事ではないので、睡魔こそ襲うが、頑張ることが出来る。むしろ、この仕事を奪われた方が苦痛を伴うことは間違いない。
 そして、友人と午前中から、近所の温泉に出かけ、昨夜のアルコールを解毒し、昼は、寿司屋でまたまたアルコールの注入を行う。(一生懸命頑張っている従業員の皆さん、ごめんなさい)
 帰宅後は本日は教室へは行かず、また、パソコンの前に座り、仕事となる。
 気づけば、もう11時を回っており、こんな事になるのなら、昼間の温泉は余計だったかと思うが、別の角度で考えれば、自分時間で労働しているから、楽しいのかもしれない。
 だれよりも仕事をしている自負と、だれよりも勝手な仕事ばかりしている負い目が同時に私を襲う。
 私のようなタイプを雇用しますか?と尋ねたら、間違いなく、Noと答えるだろう。人の言うことなど聞く耳を持たない人間を雇用する者など何処にもいない。
 運良く、自分で仕事をしていて良かった。
 今の仕事とそれを支えるスタッフと家族に頭が自然と下がるのである。
 それにしても、人が力を発揮できるには適材適所が原則である。力のある者でもその位置によっては、力が発揮できていない場合もよくあるはずだ。
 幸せな位置で仕事をしていて欲しいと願う。
posted by nishioka   全般    

07.08.27, 01:28

七田先生

 誰にも、会うと力をつけられる人はいるものである。
 友人などと異なり、何も直接言われるまでもないが、会って、少し言葉を交わすだけでとても力がつけられる人が私にもいる。
 その方こそ、七田チャイルドアカデミー校長七田眞氏である。とても不思議なことだが、七田先生と話をしているだけで嬉しくなる。
 今日、七田先生とお忙しい中、新大阪で時間を共有しながら、ご意見を賜る機会に恵まれた。そして、有り難い言葉をたくさん頂戴した。
 私もいつの日か七田先生のように何を言うまでもなく、出会って少し言葉をかけてあげるだけで、相手にempowerできるなら、素晴らしいことだと思っている。
 
posted by nishioka   全般    

07.08.26, 00:03

未見の我との自らの出会い

 中学の同級生の一人がこんなメールをくれた。
 彼女は大手百貨店に学校を卒業して以来、勤めているのだが、先日から、社内で新規導入のレジスター研修の講師という大役が回ってきて、そのプレッシャーの悩みがメールでつづられていたのだが・・・。
 「新規導入のレジスター研修の講師、本日無事にフィナーレを迎える事ができました!
 初回は緊張と不安で時間オーバーしてしまいましたが(>_<)
 自宅に帰ってから復習し1からシュミレーションしてみたりして(^^ゞ
 2回目からは不思議なくらい緊張も無くなり穏やかな気持ちで講師出来る事ができました。
 逆にもっとやりたい!ってな気持ちも芽生え、何十人もの前で話したことすら無かったあたしでしたが、やれば出来るって事とあたしにこんな隠れた才能?!が…、驚きでした。」

 私は何の役にも立てたわけではないが、とても嬉しい気持ちとなった。そして、このメールには様々な学びがあるので、ブログで紹介させて頂くこととしたわけだ。
 まず、「人前で話す」ということは、とても楽しいということだ。「あなたはおしゃべりだから・・・」と言われるかも知れないが、私は生まれつき、おしゃべりであったわけではない。むしろ、幼少期はおとなしいタイプだったと自分では認識している。だれもが楽しいわけではない、と思われるだろうが、私には、はまった人なら、だれでも楽しいと思うだろうと言える。それは、自分の表現が認められることに他ならない経験だからである。
 次に、何より、人には「未見の我」が存在していることであり、自分の能力を自分で決めてしまい、小さな枠で生きている人が多いと言うことである。
 そして、それは、人から言葉で言われても変化するものではなく、小さくとも成功体験に基づき、変わるということだ。
 よって、幼少期にこの成功体験を積んだ人は幸せである。
 自分の限界能力の枠を自ら広げていくことが出来るのだ。

 当然、中学の時の私の同級生だから、それなりの年齢である。
 その彼女が、一つの殻を破ったようだ。
 今後が楽しみだ。
 人生はどの地点からも自分の意識の持ち方で、楽しみ方を含めた生き方が変化してくる。 
posted by nishioka   全般    

07.08.24, 22:40

世界陸上

 大阪に住んでいながら、昨夜は北海道や東京からの親しい人も集まるので、大阪の某ホテルに宿泊した。
 ホテルのエントランスに一歩足を踏み入れた瞬間、そこは異国の地となっており、驚いた。
 "Senegal"やら"Ethiopia"などの文字が目に飛び込んでくる。顔は小さいが、身長は私よりはるかに高い黒人の引き締まった身体が目に入る。
 そうなのだ、このホテルは世界陸上の選手達のオフィシャルホテルとなっており、大会関係者達が集う。
 残念ながら、どなたが出場されているのか日本人以外のアスリートは殆ど存じ上げないが、間違いなく、この中には、表彰台に近いアスリートもいるのだろうな、とミーハーの私は思うのである。
 しかし、それ以上に驚いたのはボランティアスタッフの多いことだ。
 大阪の経済地盤沈下は激しく、改善の糸口さえ見えないと言う。そんな中で、彼らポランティアスタッフの果たす役割も大きいだろう。
 世界から集まる様々な方々へ是非良い大阪の思い出が提供されれば、と心から願う。
 今大会の予測収入の内訳は大阪市の一般会計からの負担が40億円も出されていると先日報道されていた。即ち税金からの拠出である。日本経団連など財界の寄付は8億円なので、大阪市の負担規模の大きさがわかる。
 それ以上の経済効果が予測されているが、それはどうだろうか?
 オリンピックを含むスポーツイベントはいつの日からかショービジネスの様相が強くなってきた。
 それは仕方ないのかもしれないが、本来は、1秒でも速く、1cmでも高く、長く、跳んだり走ったりすることを世界の人たちが集い、競い、そして、友情を深める場であれば、それで十分なのだが、どこか違う感じもした。
 皆さん、力を出し切り、大阪の良き思い出を作って帰国して欲しい。
posted by nishioka   全般    

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