07.03.31, 01:01

廃棄処分の中身

 本日もごみ焼却場へ、もう必要のない可燃ゴミを持ち込んだ。
 会社を起こした頃からの会計資料も含んでのことだ。これらの資料は法的には7年の保管義務はあるが、当初からの全てを廃棄できずに保管されていた。確かに税務署対応はそれで良いのだが、私個人としては、これだけ丁寧に保管している物だから、見てほしいと思い、なかなか廃棄できなかった。
 思い起こせば、独立して仕事を始めた時から、地元の税理士の先生ではなく、公認会計士であり、しかも上場企業で誰でも知っている会社の顧問会計士の先生にお願いした。
 大きな所なら、大丈夫という全く勘違いしている始まりだった。結果、企業規模が異なりすぎるところにお願いしていたので、私のニーズには応えてくださらないという理由で別の先生に変更した経緯があったことも思い出した。
 当時は経理などと言っても自分が全てやっていた時もあり、中の資料もそれは懐かしいものがある。
 だからこそ、廃棄する際に、寂しさが出てきてしまったが、必要の無い物を保管していても仕方ないし、後ろをふりかえる歳でもまた規模でもないのである。
 会社の歴史は当然、自分の歴史でもある。
 可燃ごみの場所へ放り込む際に自然に頭が下がった。
 
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07.03.30, 01:55

神仏混合

 従業員の家族が病気になるケースが続き、何かお祓いでもしなければ・・・なんて思いながら、部屋の中を見渡した。
 本来ならお礼参りでも行かなればならないのだが、お炊き上げしようと置いたままになったお札や般若心経の写しなどの袋が妙に気になった。
 私の住む氏神様である近所の神社にお願いにあがった。生憎、宮司さんは留守中。ほどなく、戻られたので、
 「神主さん、できれば、これを全部お炊き上げお願いしたいのですが、よろしいですか?」と尋ねると、神主さんは、中をご覧になられて、少々困惑気味。
 「神社のものもお寺のものも、混在していますが、ここでは、お寺の物は無理ですよ」
 そこで、神社系のお守りやお札をお渡しし、それから、やはり近所の大きな寺へ向かうこととした。
 意外と階段も多く、上まであがるのは大変だったが、今度は気持ちよく、「どうぞ、どうぞ!」と受け取って頂けた。
 困ったときはお願いしながら、お礼もしっかりとできておらず、本当に神様、仏様、お許し下さい。
 それにしても、私の宗教観、これで良いのだろうか。
 神仏混合、紛れもなく、私の考えであり、無理がある日もくるだろう。
 それでも、神様にも、仏様にも手を合わし、少しばかり気持ちよくなった。もう大丈夫だ。そう心が意志決定してきた。
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07.03.29, 00:11

「行く」にふりがなをつけたら?

 「行く」の「行」にふりがなをつけるとすれば、何と書かれますか?
 「い」ですか?それとも「ゆ」ですか。
 私は、「言う」の「言」にふりがなをつけると、「ゆ」ではなく、「い」となるように、この場合も同様であり、「い」が正しいはずと考えていた。
 ところが、ある方から「ゆく年、くる年」などと表記もされている、と伺い、「それは・・・」と説明がつかなくなった。すると、別の人から、メールをもらった。
 
新明解国語辞典(4版)より
●い・く 【行く】「ゆく」の口語形。
●ゆ・く 【行く】音便形は「いった」「いって」。。。
新発見です。「ゆく」の読みが正式(?)だなんて。

 私も驚きでした。
 しかし、どうして、小学校の時、「いく」と習ったのだろう、と不思議な気持ちとなった。
 そこで、こんな時は、まずはインターネットを利用して、と様々なサイトを見たが、よくわからかった。
 そして、またまた、こんな時は?ということで、国立国語研究所なる所へ電話かけた。
 何度も電話をしているので、既に声(?)なじみの先生がおられる。本日は出張中ということで別の方から指導を受けた。
 何とまたまた面白いことがわかった。
 文化庁発行の「ことばに関する問答集 総集編」の中に、書かれている内容を伺うこととなった。

●ゆく 語源的にはこちらであり、文語的
●いく 口語的な傾向

どちらも正しく、どちらも誤りではない。
但し、小学校では、「いく」を中心に指導
理由 連用接続した(「て」「た」の接続)音便形の場合
「行って」「行った」の場合、「いって」「いった」とは言うが、「ゆって」「ゆった」とは言わない。
結論
小学生の場合、「いく」とした方が、良いかということだった。
 本当に「勉強」って、楽しい。
 そして、全ての物事にはルールがあり、そのルールは絶対ではなく、時代と共に変化するが、変化の背景には、しっかりとした理由があるということだ。
 こんな面白さを子どもに伝えたいのである。
 
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07.03.27, 22:53

できる できる できる

 七田チャイルドアカデミーの新年度は4月であり、火曜日は、今年度の最終レッスンとなった。
 中には、中学へ入学するため、退室となる所謂卒業パターンもある。
 この日、私はいつもにもまして、張り切ってレッスンをした。
 そして、子ども達に熱く語った。
 平素は調子に乗る子ども達も、私が本気で語ると真剣に耳を傾けてくれる。
 「勉強はとても大切だ。しかし、世の中のお役に立つために勉強しているのであり、順位をあげるためにしているのではない。どんな時も、一生懸命勉強すること。そして、世の中のお役に立てているかどうか、いつもチェックしほしい。これからも、緊張する場面や、これが勝負、と思う場面がくるが、そんな時は、立腰(腰骨を立てること)して、ゆっくりと深い呼吸をするだけで、必ず心が落ち着いて、実力が発揮できるよ」
 最後に、各々私のレッスンの定番である「できる・できる・できる」という詩の暗唱を発表してもらった。
 特別にこの詩を公開しよう。
 自然に力が湧いてくる詩だ。

「できる・できる・できる」 作 阿奈 靖雄

できる できる できる
私の願望は
かならず達成できる
私には それだけの
底ぢからがある
願望実現にむけて
しっかりと目標設定し
具体的に行動することだ
うまくいくと信じきって
具体的に行動すれば
かならず道は開けてくる
困難に出会っても
決してあきらめてはいけない
目のつけどころを変えてみよう
人の知恵も借りてみよう
打つ手というのは無限だ
本気にさえなれば
かならず打つ手は出てくる
今が限界ではない
決してあきらめてはいけない
本気で取り組めば
かならず道は開けてくる

 私がレッスンの中で一番伝えたいことは、単純な知識ではないのだ。そう、だれもが、自分に暗示を送るだけで、どんなことも「できる」ということなのだ。
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07.03.27, 04:52

そうじ、掃除、ああ・・

 深夜零時を回りだして、仕事部屋の掃除にエンジンがかかりだした。
 片づけを始めると、これが笑えるのだ。
 埋もれた書類の中から、「そうじ力」だの「掃除道」だのと書かれたタイトルの本が出てくる。
 挙げ句の果てに「仕事ができる人の机はこうなっている」の見出しが出た雑誌まで登場するのだ。
 当然、中に書かれている文は一度読んだことのある文であり、目新しいわけではないが、そこで手を休めて読みふける。
 想像通り、仕事ができる人の机の上は整頓されている、と言うより、むしろ何も無いに近いそうだ。
 だから、私は仕事ができないのか、愕然としながら、「そうじ力」を駆使して、「掃除道」に邁進するのだ。
 しかし、そうそう、今日は、朝からレッスンがあるのだ。
 既に時間は、午前5時近い。
 風呂に入っていると、午前6時にはなってしまうなあ・・・
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07.03.26, 00:54

家族の幸せ

 父の退院祝いで、食事会に出かけた。
 私の長男と妹の長女がクラブで、そして、妹のご主人が仕事で参加できなかったが、両親と三兄弟の家族14名が揃い、父の退院を祝った。
 もちろん、退院したとは言え、まだまだ完全復活と呼べる状況ではないが、みんながワイワイ言いながら、食事をしている様子は、私の家族でありながら、第三者的な視点で立脚しても妙に幸せを感じるものである。
 いつの日か世代交代する時もくるだろう。私の子どもが作る家族も、また、こんな日を迎えることがあるのだろうか。
 そんな気持ちとなった。
 今週末からは、家内の両親が数年ぶりに東京から来られる。桜の満開を楽しみながら、家族である有り難さと幸せを感じたい。
 そして、私の両親にも、また家内の両親にもいつまでも健康でい続けてほしいし、幸せであり続けてほしいと願うのである。
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07.03.25, 01:24

チャレンジ精神

 多くの方がTVでご覧になったのだろう。
 世界フィギュアスケート選手権で、ショートプログラム2位の安藤美姫が逆転で金メダルを獲得した。
 個人的には、安藤美姫の金メダルは非常に嬉しかったが、それにしては、どこか自分の中で盛り上がりに欠けたのが正直なところだ。
 確かに、昨年の12月、地元・名古屋で開催された全日本選手権で、安藤選手は右肩を脱臼したのも記憶に新しい。フリーでは、中盤の転倒後に激痛で一時動きが鈍ったほどだ。そこからの再起なのだから、感動があるはずである。
 にもかかわらず、自分の中の不完全な感覚は、何故だろう。 ショートプログラムで5位と出遅れたが、浅田真央のスケーティング、ジャンプ、表現といずれの角度から見ても、上回っているように見えたからだろうか。
 スバリ、答えは私の中では、はっきりとわかっている。それは、4回転ジャンプを封印してチャレンジせず、全体をまとめる戦いの方法を安藤美姫が選択した事に因るのだ。
 今回の金メダルは、審査員による採点競技という色彩からも次回の冬季五輪にも及ぼす影響は、大きいだろう。
 しかし、たとえ、今回敗れても、「やってほしかった4回転ジャンプ」の思いが重く残る。
 つかの間の嬉しさより、失敗してもチャレンジし続ける精神を私は評価したい。
 「勝負に勝って、人生に負けた」そう思えるような事がないよう、生きていきたい。
 安藤美姫さんの努力の1000分の1もしていない男が偉そうに書けることではないが、野次馬がもの申してしまい、失礼しました。
posted by nishioka   全般    

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