06.11.13, 16:03

本当の慰安旅行へ

 こんな時間にブログをアップさせることもまずないのだが、とうとう、これまでのつけが回ってきたのか、本日から3泊か4泊の予定で、高槻赤十字病院への旅が決定してしまいました。
 教室は、木曜日はレッスンがあるのだが、本日から1週間のお休みで、研修に充てたり、各々精力的に時を過ごすのだが、私は、とにかく第一に部屋の掃除と思っていたのに・・・。
 だが、期日の迫った仕事をこなせねばならないし、どうして神様は、私に仕事場の整理をさせてくれないのだろう、と思いきや、何と、この数日の睡眠不足がたたり、免疫低下したことが原因で、「丹毒」という病に罹患してしまった。
 家内に、これを伝えると、さすがに、病名にも「毒」がついているのね、と微笑み返しをされてしまった。ま、重く受け止める人間ではないことで、過去、助けられた事は多いのだが・・・。
 背中の腫れがとにかく痛いうえ、微熱が続いており、日赤の担当医は、「これを機にひとつ休暇をとってください」と言われてしまったのである。
 こうでもしなけりゃ、休まないので仕方ないと思われるだろうが、いやいや、私はパソコン、テキスト、携帯、様々な道具を駆使して、この病室で快適に仕事をしてやるぞ、と意気込んでいる次第である。
 とは言え、微熱もあるし、しんどいし・・・。
 あっそうだ、アルコールも抜かないといけないという恐怖が待っている。
 皆さん、心配はご無用です。少し、旅に出ていると思ってやって下さい。
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06.11.12, 20:12

健康な身体あっての仕事

 いつ以来だろうか。午前中は少し仕事が出来たが、昼食後、微熱と悪寒が走り、布団で夕方までうつら、うつらの一日となった。
 元々、今日は、東京で仕事の予定だった。ただ、締切が迫った仕事が山積しているので、とりやめた。七田チャイルドアカデミーのゴルフコンペも今日だったのに、それも断り、色々調整して、万全の仕事体制は「体調」という最も基本的な枠組みから崩壊した。
 昨日の首のリンパの腫れは随分治まったのだが、首の付け根、右の肩胛骨上の箇所など、とにかく、筋肉痛のような激しい痛みがする。インフルエンザの痛みとも異なるし、過去経験したことのない痛みに不安も走るが、熱は下がったようだし、今から、もう一踏ん張りすることにしよう。
 健康な肉体があるからこそ、色々な事にチャレンジできるのであり、今さら嘆いていても遅いが、もう少し規則正しい生活をしなければならないと切に感じる一日だった。
posted by nishioka   全般    

06.11.11, 23:07

身体を大切に

 昨夜、塾から帰宅したのは、深夜だった。
 本当に平素「肩が凝る」という感じが幸いなことに殆どないのだが、珍しく肩が凝ったなあ、と思いながらも、山積している仕事をこなすために、帰宅後も明け方6時近くまで、パソコンの前に座った。
 「もう限界」と思いながら、風呂に入ると、首のリンパにしこりがあり、肩までかけて熱をもっていることがわかった。こんな症状なったことがないので、不安ではあったが、しんどいわけではないので、大丈夫かとも思いながら休んだ。
 起床後、明日は日曜、何か大事になってもと久しぶりに医者へ出かけた。実のところ、私はかなり小心者で、「悪性の○○・・」などと言われたら、と一人心配したが、診察された先生は、「弱った身体にウイルスが入り、首と肩に来たのだろう。3・4日で良くなると思うが、そうでなければ、後日、血液検査もしましょう」と軽く言われたので、とても安心。
 でも、よく考えれば、この何日もまともな睡眠時間をとった記憶がない。周囲にもよく「いつまでも若いと思っていてはいけないよ」と諭されるが、確かにその通り。病気になってからでは遅すぎるし、少しは、自分の身体も労ってやらねばならない。
 とは言え、当然、締切の迫った仕事も多く、休んでいるわけにもいかないし、困ったものだ。
 そんな事を書きながらも、仕事が嫌いではなく、むしろ好きなので、精神的な負担はないのだが、偶には、早く身体を休ませよう。
 明日には、必ず良くなっている、そんなイメージを自分自身に向けながら、床に就くとしよう。
posted by nishioka   プライベート    

06.11.11, 03:00

三行日記

 私の教室の小学生部ジュニアスコースでは、各学年に応じて、三行日記、五行日記、十行日記を毎週書いてくるように課題としている。
 この日記を書く意図は、もちろん、文章表現力を高めることにあるのだが、始めてこの十年、書いてもらうことで、別の効果があることがわかった。それは、たった三行でも、子どもの何か訴えたいシグナルが出ていることがあることに気付き、講師としては子どもとの関係構築に重要な役割を担っているとの認識を持つに至った。
 だから、必ず、日々の書かれた内容に対して、短くともコメントは添えるようにしている。
 返却する際、どの子どもも必ず私のコメントに何と書かれているか、すぐに読む。気になるのが、正直なところだろう。
 ところが、相対的にこの三行日記は男の子の方が苦痛に感じる場合が多いようだ。今日もいつもは書いている男の子も含めてだが、二人の男の子が書いてきていなかった。
 「日記を書くのが、何となく、後回しになってしまう人は?」と子どもに問うと、何と、一人の女の子を除いて、全員が挙手した。
 日記は作文・論文に通じるとても大切な入り口なので、私はスキルのさわりを少し話した。
1.自分の感情を「 」で書き、これで書き始めろ
2.不要な言葉(今日・私は など)は書くな
3.読む人をわくわくさせることを意識しろ
4.難しいことを書こうとせず、何かいつもと違うことが起きれば、 それをそのまま書け
そんな、易しい話を言った。
 稚拙なブログを毎日書いていて、こんな話しをするのは、真、おこがましいのだが、作文が上手な人は、他人の気持ちがわかる人だと思う。向こうにいる読み手の気持ちを考えて、文を書くように意識すれば、自然に少なくとも、書くことは楽しいものになる。
 私は、最初、意地で始めたブログだが、休まず、毎日書くことで自分の中心線にぶれが起きにくくなる、という期待もしていなかった効果が生まれた。
 とにかく「継続は力なり」だ。

 そう信じて、書き続けよう。
posted by nishioka   全般    

06.11.10, 02:11

人間 この神秘なるもの

 新・松下村塾の塾長である濤川栄太先生から、遺伝子の研究では世界的にも著名であり、ノーベル賞候補とも言われる筑波大学名誉教授の村上和雄先生との最新の共著「人間 この神秘なるもの」(致知出版社)を有り難くも頂戴し、余りにも面白く一気に読んだ。
 村上先生の「高い志、感謝、プラス思考が人間の遺伝子を活性化してスイッチ・オンにする」というお言葉に濤川先生がふれ、失明を回避し、死の淵からも生還することができたという実体験が元となり、今回の対談、そして、ご本の出版と至ったようだ。
 哲学者である濤川先生と科学者である村上先生が、その専門枠を超えた中で、解け合っている感覚がたまらなく心地よい。教育・宗教・科学・医学等これらのカテゴリーは、実は「人間学」という大きな枠組みから始まった物だと実感できる。もちろん、それは、偉大なお二人の優しさであり、本書でも数多く触れている正にサムシング・グレイト(何か偉大なるもの)への畏敬の念を意識されているからこそ感じられるに他ならない。
 そして、お二人は今の日本の危機的状況を憂うだけではなく、そこから脱却するための考え方・目標を明示されている。
 濤川先生は、危機の時代こそ、高い教育力があれば、人材が輩出されるという歴史観から、ご自身の社会へのお役立ち・使命を命がけで訴えられているようで、心震える思いさえした。
 特に「モラルにおいて世界一高い国」という教育目標に、共感した。日本を変えるには、大上段に構えて、大きなことをしようとしても難しい。実は、一人ひとりが変わり、元々日本にあった道徳心の大切さを実践しようとするだけで変わるはずなのである。
 幸い、私は、端くれかも知れないが、教育現場が自分のフィールドである。私の遺伝子のスイッチをオンにして、小さな事からでも実践していこう。
 以前、村上先生が言われていた「わくわく感」もスイッチ・オンに役立つはずである。
 わくわくしてきた・・・。
posted by nishioka   全般    

06.11.09, 01:20

秋の便り

 夏に家族旅行した愛媛県内子町の民宿「いかだや」さんから、とても立派な柿が届いた。
 食べてみると、見た目にふさわしい、美味な味である。
 そして、この柿のお裾分けとして、来月10日に弊社主催で行う講演会の講師を務めて下さる小田全宏氏に送った。
 お金を払ってもなかなか手に入れることが出来ないのは、ご当地だけのおいしさや人の優しさかもしれない。
 おいしさを頂戴し、おいしくて喜んで下さる方へさしあげる。最高の「贅」の時である。
 喜んで下さるだろうと先方が私へ心を込めて、何か物を贈られる。私も、また、その品を、同様に喜んで下さるだろうとわくわくしながら、送付する。
 少し前の日本なら、同様に気持ちでそのようにした、ということは、よくあった話しだろう。

 ただ、どこの都道府県とは言わないが、喜んでもらい、と同時に自分の得も得ようと、努力をすることが、「汚職」となっていることにも気づかないのだから、困ったものである。
posted by nishioka   全般    

06.11.07, 22:55

自殺報道に思う

 自殺報道が自殺の連鎖を生み出さないように・・・と願っていたことを、これまでこのブログにも書いてきたが、昨夜の伊吹文科相の記者会見をニュースで見て、何とかしなければ、の思いに駆られているのは、私だけではないはずだ。
 当初、北海道や福岡県の自殺に関してのマスコミ報道は、学校を責める事に終始していた。私は、「死んではいけない」「生きることは辛い事もあるかもしれないが、必ず楽しいこともある。それに何より、周囲の人を悲しませてはいけない」という死に急ぐ子どもたちへのメッセージも同時に発信してほしいと願った。
 ここへきて、ようやくマスコミもその種の発信を始めた。しかし、文科相の記者会見に対して批判の記事も朝刊では読んだ。私は、いたずらであろうがなかろうが、文科相が真剣な面持ちで「生きてほしい」と呼び掛けた判断は至極正しいし、それが心有る大人の行動だと思う。そのために同種の手紙が今後、山ほど寄せられるとしても、そのたびごとに「生きてほしい」と言い続けてほしい。
 このたび、文科省に送付された自殺予告の手紙の文面から、優秀さとどこか稚拙な感じの同居と精神の混乱もうかがえる。学校の先生、学校長、教育委員会など誰にも受け止めてもらえないいじめへの絶望感から「自殺する」と思い詰めているようだが、心の奥底には「生きたい」という叫びがある。だからこそ、少し先の日の予告文となった気がする。
 これが「いたずら」であるとか「いたずらではない」などの論争は関係のないことで、私たち大人は、命を軽く扱うことに断固として異論を唱え続けなければならない。
 「いじめられても、大丈夫だよ」「負けるな、がんばれ」という口先だけの同情は不要。小手先で解決を図れば、かえって事態は悪化する。
 いじめに対して、正面から闘いはできないので、死をもって復讐しようとする連鎖だけは、何として断ち切らねばならない。
posted by nishioka   全般    

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