06.09.29, 23:26

所信表明演説

 安倍首相の所信表明演説に関してのメディアの反応を長男とTVで見た。
 政策面でカタカナ言葉が目立つことに多くの批判を集中させていた。「オープンな経済社会」に「イノベーションの創造」「自宅での仕事を可能にするテレワーク」「日本がアジアと世界の架け橋となる『アジア・ゲートウェイ構想』の推進」「未来に向けた新しい日本の『カントリー・アイデンティティー』」などと明記するように、具体的な数値目標の代わりにカタカナ言葉を多用することで、斬新なイメージをアピールする狙いもあるのかもしれない。
 しかし「美しい国、日本」を掲げ、伝統や歴史を重視する保守色の濃い内容に比べると、確かに、ちぐはぐな印象も否めないのは事実だが、よくぞ各局、これだけ批判を並べる物だと感心さえした。
 所信表明は明確なビジョンを打ち出すためには、必要不可欠なものではあるが、いつの日かマスコミの役割は「批判」をすることだけが「吉」であるようにジャーナリストを自認する方々が中心になって誤った認識が生まれたのでは無かろうか。
 景気低迷の中、大切なメディアのするべき働きは、「批判」ではなく、「期待」を含む光の筋を多くの人に通すことでは無かろうか。
 もう少しわかりやすいことばで表現して欲しかった気持ちも私にもにもあるが、ここ所信表明演説の場は、具体的なことではなく、パフォーマンスの場であるので、「期待できますね」で締めることが明日を変えるはずだと思うのである。
 常に迎合することなく、「批判」する目を持つ事はとても大切であるが・・・。
 TVを見ていた長男がポツリ!!
 「安倍さんの話って、これで言いよね。批判ばかりでは良くないよね」
 中学生でもわかっていることではないか!
その人の良い部分を見つめることは悪ではない。
 これを読まれている皆さんとは少なくとも、良い部分を認め、誤っていることには"No"と言える精神で日々を共に送りたい。
posted by nishioka   全般    

06.09.28, 23:52

文化祭の見学

 午後、塾を抜け出し、長男の学校の文化祭を京都会館で家内と見学した。
 早いもので、子どもも中学3年生となるが、学校行事に参加したのは、入学式以来だったが、我が子と言うより、子どもたちの成長に最初、視線が止まった。入学式の時は、殆どの子どもがまるで小学生で、眼鏡をかけた幼い子どもたちが多く集まっている印象が色濃く残っている。
 入学式からおよそ2年半。みんな本当に成長したものだ、と今日は目を細めて眺めた。
 そして、3クラス分だけだったが、3年生の劇を楽しんだ。
 本来なら、受験も迫っている3年生だが、そこは、中高一貫の強み、我が子はどれだけ貢献したのか、はたまた足を引っ張ったのか、定かではないが、夏休みも何度も自主的に登校し、この1ヶ月は帰宅も午後9時を回ることも多いほど、よく練習していたようだ。そして、その成果は十二分にあったよ、と心から拍手が送れた。
 この時期、真面目にしない男の子がいて、女の子が涙したり、よくある光景かもしれないが、学業以上に、集団で一つの目標に向かって、自立しながら、まとまっていき、共通の達成感を経験するのは、とても大切であり、一生の財産だと強く感じる。
 自分の中学3年生の時に比べれば、台本、せりふ、舞台、いずれもかなり本格的であり、完成度の高い作品に仕上がっていた。
 一貫校への入学に、随分失敗だったかと思う時期も長く続いたが、最近、本当に学業を除くすばらしさにこちらが感銘を受けることも多くなった。
 とにかく、こういう学校で成長できるのは、本人の徳であり、本人の得なのかもしれない。
 もう少し別の苦労をしても学業のすばらしさも知ってはもらいたいが、多くを望むのが欲になるかもしれない。
posted by nishioka   プライベート    

06.09.27, 23:11

ツキを呼ぶ「魔法の言葉」

皆さんは、マキノ出版から今年の6月に刊行された「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という本をご存知だろうか。
 本当に周囲から「西岡さん、この本読まれましたか?」と聞かれた時には、既に何ヶ月も前に読みました、と思うことが私のプチ自慢であったにもかかわらず、今回のこの本については、全く知らなかったのだが、先日、㈱七田チャイルドアカデミーの全社員に配布されたことを本田副社長から伺い、併せて、その本を大変有り難いことに頂戴した。
 作者は五日市剛氏と矢山利彦氏であり、前者は工学博士、後者は医学博士であり、もちろん宗教的な話題ではない。
 魔法の言葉とは、「ありがとう」「感謝します」「ツイてる!」。その使い方や効果、唱えただけで人生がガラリと一変したという人の喜びの声などが公開されている。
 だれにも読める本で、書かれていることは別段真新しいことではないが、是非お薦めしたい。
 「ことば」は本当に魂が宿る物であり、「言霊」(ことだま)でもある。心の持ち方が大切だと言われるが、その前に、何より、自分の口から発せられることばに注目してみる必要がある。
 何をやってもうまくいかない人は、不思議と不平不満、愚痴ばかりを発している。「クソったれ!」「むかつく!」「腹立つ!」全てとんでもない。天井に向かって唾を吐いているのと同様であり、また、その唾は自分めがけて戻ってくる。
 ただ、「腹が立ってはいけない」と思わずに、腹が立ったら、「腹立つ」と言わずに、自分に対して何かの教えがあるんだな、と思って、「ありがとう」と言ってみよう。
 かく言う私も器が小さいのか、すぐに「腹立つなぁ」と言いたくなるが、今後はぐっとおさえて、「ありがとう」と言ってみることにした。(既に何度も言っているから、これが逆に考えれば、面白いが・・??)
 ただ、いつも自分のこれまでの人生を振り返ってみて「ツイてる!」とは心底思う事も多く、そのことには、やはり心底「感謝している」。
 このブログを読まれた方、是非、ことばに出してみて下さい。
 「ありがとう」「感謝します」「ツイてる!」
 どうですか。すばらしい出来事に遭遇するはずです。
posted by nishioka   全般    

06.09.27, 00:18

国が違えば・・・。2

 カナダへ行っている知人から続編のメールが届いた。
 大変個人的な感情であるが、私は、この類の情報が大好きである。例えば、今、七田チャイルドアカデミーMonthly CDに挿入されている「世界の国歌」は私が好むコンテンツの一つであり、子どもたちにも、毎月、その国の情報を話している。それは、もちろん、人口や面積などの基本情報を日本と比べて話しているが、それ以上にその国ならでは、の豆知識を話してやりたいと意識している。教科書的なことではなく、「へー」と思ってくれることを伝えたいのであり、世界の地理への動機付けになれば嬉しいのだが・・・。
 さて、本論に戻るが、今日届いたメールには、「自己責任」と「国家責任」について考えさせられたので、転載しよう。

◇子供について
生まれてきたこどもをちゃんと育てるのはもちろん親の義務ですが、この国ではもっとしっかりとした考え方があります。
 毎日、お乳をあげたりおむつを換えたりさぞお母さんも大変だと思うのですが、親は一時も子供を一人にしてはいけません、例え自宅であろうとも、ごみを捨てに行くときも連れてゆきます。もしくは父親か誰かが見ています。
 カナダでは子供を放置すれば違法になり見つかれば逮捕だそうです。子供を守るのは国の義務でもあるのですね。
また、乳母車で散歩に出かけ、道路を横断しようとする姿をみると、走っている車は、確実に止まってくれます。車が途切れるタイミングを待つ必要はありません。歩行者優先はどの国もそうですが、この徹底ぶりには、感心させられました。

 子どもは国家の宝であり、次代を担う子どもを大切にするのは、当然の事だろうが、自宅でも、一人にさせない、とは徹底ぶりが中途半端ではなく、気持ちよい。
 カナダは、治安という角度で見れば、大変良いと言われている国の一つでありながら、これだけの縛りを当然のようにしているのは、そこにカナダ政府の子どもに対する精神を表明しているのだと感じた。
 今の日本は、親と親以外の人が一人以上、子どもの側にいなければならない、とルール化しなければならないほど、親が子どもに危害を加える可能性が高くなっている。
 何かが狂っている。
posted by nishioka   全般    

06.09.26, 02:19

国が違えば・・・。

 カナダに行っている知人からメールが届いた。
 転載してみよう。
◇バスについて
こちらはバンクーバーから南に下がったバーナビーという郊外に位置し閑静な住宅街です。幹線道路にバスが走っていますが、なんと駅名がないのです。およそ7~800メートルごとに駅はあるのですが、名前がないと不便だろうと聞くと、知らないところへ行くには運転手さんに聞くとちゃんと教えてくれるし、知っている所なら近くの風景が見えたらボタンで知らせます。
 つまり、自己管理がちゃんとできないと(人や物任せ)生活しづらい代わりにサービスを受けたい人はきちんと申し出ればきちんと対応してくれるわけです。
 また、バスは2$50¢のコインか回数券しか使えません、紙幣では乗れません。
 何とかならないのです。これもはっきりとした考えです。
◇買い物
大型ショッピングモールに出かけました。
 近代的な構造の建物には色んなお店が立ち並んでいます。野菜や果物売り場に入ってみました。何かどこかの市場のようで、たくさんの種類の商品が所狭しと箱に盛り付けてあり、50¢/gとか98¢/gと表示してあります。
 つまり、好きなだけかごに入れて持って来いというわけです。
でかいキャベツを一つ買ってみました。いちいちレジで測るのも面倒だろうと思いきや、レジテーブルが計りになっており、レジさんがキャベツを乗せた商品名を打ち込むと自動的に値段が表示されました。これは便利!
 好きなものを好きなだけ買えるのです。
さらにレジ台にビニール袋がレジ台にセットされていて買ったものがいくつかに仕分けされ、そのまま持って帰れるのです。日本でもこうして欲しいと思っていたので、うれしくなりました。
ちなみに、あるお客さんは7~8本が1束になったバナナを掴み、バッキッと2本だけちぎってカゴに入れました。日本では店員に怒られそうですね。

 これだけ、国境のボーダーレスが叫ばれるほど、各国の情報がリアルタイムに伝達される時代であっても、なるほど、ご当地にはご当地にしかないメリットがありそうだ。
 日本国内だけに目を向けても、その違いがありそうだ。そして、そのメリットはその地域で暮らしている人には見えない物かもしれない。もちろん、国民の気質も関与し、一概にそのまま導入してもうまくいかないかもしれないが、この同じ時をこの地球で同じように呼吸している人たちが異なることに感動しているのだから、面白い。
 私たち日本が気づいていない当たり前のこの平和が与えられていない国も一つや二つではないといのも事実である。
 
posted by nishioka   全般    

06.09.24, 21:23

桑田真澄氏

 昨夜、ブログをアップさせた後、巨人ファンの私にとっては衝撃的なニュースがとびこんだ。
 「桑田真澄氏引退報道」だったが、球団HPにて自身の本日の2軍登板を最後だと示唆するものだった。
 38歳、若いと言えば、若いが、引退は寂しすぎる。何とか頑張ってほしい、と昨夜は思った。
 先程、仕事を終え、自宅に戻ると、それは、Giantsでの最後であり、他球団を希望する記事を読み、桑田氏の勇姿をまだ見ることが出来る可能性に喜びを感じた分が半分、Giants以外での彼の勇姿は見たくないが半分というのが正直な感想だ。
 昨年の桑田氏は、0勝7敗と不振に苦しんだ。良い投球をしながら勝ち星に恵まれなかったこともあったにもかかわらず、マスコミは、勝てない部分だけを見て、8月頃から限界説を展開し始めた。周囲がむやみに騒ぎ立てて、その可能性を摘み取ろうとするのは、輝かしい実績を積み重ねた選手に対してあまりに礼を失するのではないかと怒りさえ覚えた。
 それだけに今シーズンの1勝目は本当に嬉しかったし、今後も期待した。桑田氏は、言わずと知れた巨人生え抜きのベテラン投手である。PL学園で3年間にわたって甲子園を沸かせ続け、プロ入団後も巨人のエースナンバー18番を背負って、何度も巨人の優勝に貢献してきた野球界きっての功労者でもある。
 その桑田氏が2002年に12勝6敗でセリーグの最優秀防御率に輝いたとき、誰が3年後にここまで苦闘すると予想しただろうか。
 苦境に陥るのは、2005年が初めてではないが、1995年に右肘を故障し、手術で約2年間を棒に振った後も復活を果たしたし、2002年に先発投手としての立場が危うくなったときも12勝を挙げる活躍で乗り越えてきた。
 養老孟司氏と武術家・甲野善紀氏の「古武術の発見 日本人にとって身体とは何か」を読ませてもらった時、古武術の考え方に共鳴し、桑田氏の努力の一端も知ることが出来たような気がして、大変嬉しかった記憶がある。現代人が失ってしまった「身体」を復活させるヒントが満載されていたが、そんな所にも意識を向けた桑田氏のプロ魂に感服した。 
 しかし、今日は、ここにも終身雇用制の終焉を感じたことを話したい。彼は、Giantsというフィールドでの仕事ではなく、プロ野球界というフィールドの仕事を選ぼうとしている。
 長島茂雄というスーパースターが、今も尚、余りにも偉大であるのは、Giantsでユニフォームを脱いだからであり、ボロボロの状態を見せなかったからではなかろうか。
 だが、それも私の固定観念であり、活躍すれば、報酬ももちろん名誉もつく。
 今は、せっかく桑田氏が希望したのなら、どこかの球団で活躍して欲しいと心底願わねばならないのだろう。
posted by nishioka   全般    

06.09.23, 22:42

想いの伝達と表現

 休日とは言え、午前中からスタッフにも無理を言って、仕事となった。しかし、私にとっては、仕事の意識などまるでなく、とにかく楽しい充実した時間だ。
 この数日、布団に入るのも殆どもう朝になってからであり、何となく身体もボーッとしているのだが、子どもたちにとって、どんな取り組みをすれば、力がついていくのか考え、形になっていく過程が正に快感なのである。
 考えたことが文章になり、或いはイラストとなり、プリントになってコンピュータから出力される。完成品となったプリントは、私のアイデア時から大きく成長し、見違える姿となって、私の前に現れる。おかしな書き方だが、愛する我が子を見つめるバカ親の眼差しに近いものがあるかもしれない。
 これまでのブログにも書いたが、残念ながら天は二物を与えてくれなかったのか(笑)私には、全く絵心がなく、自分で書いた絵を見て、自分で笑うしかない才能とセンスの無さである。
 ところが、弊社にはイラスト課があり、彼女たちのイラストの書く速さとセンスの良さに驚嘆することがどれだけ多いか、本当に有り難いスタッフである。
 人間は本能的に自分の考えや意見を何らかの形で周囲に伝えたいと思うのである。その伝達を学ぶために色々な角度で学習を積むのであろう。そして、自分に合うその伝達方法を見つけることが出来た人は幸せなのである。
 口頭で表情で文章で絵画で音楽で、様々なツールを使って表現するのだ。だから、逆にうまく伝えることが出来ないことで、子どもだけではなく、大人までもストレスをためこむのだろう。
 私は実力も能力もあるとは心底思っていないが、私を支えるスタッフたちがその私の思いを伝えてくれているようで、周囲に反して、ストレスがたまらないのである。
 本当に有り難いと感謝している。この場を借りて「ありがとう」。
posted by nishioka   全般    

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