「一生懸命」は大好きな言葉だし、そのひたむきさは、必ず時間がかかっても人に伝わるし、形になり、いつの日かあきらめない限り、成就することも絶対に間違いない。
よく、書物などで「営業は極論、さぼっていても数字が上がれば評価されるし、逆に一生懸命でも数字にならなければ評価されないのだ」などと言われる。
だが、一発勝負は別として長年、数字をあげるにはサボっていては無理であることも明白である。
問題は、この「一生懸命」が自分の評価であるということにある。
目に見えて寝ていれば、さぼっていることは自他共に認めるだろうが、大概はそうではない。
私はこれだけ一生懸命しているのにわかってくれない、と思うことが多い気がする。
本当に一生懸命だろうか?
本当にひたむきになっているのだろうか?
全て自分で決めているのであり、もし、お客様(私たちの場合は保護者の方)から誤解されているという事があれば、反論するのではなく、どうしてそのように思われたのか必死になってさぐってみよう。
答えは出なくとも、必死になってさぐれば、そのことにおける評価を頂戴できるようになるし、結果として、以前は「一生懸命」ではなかったと謙虚に思えるようになると思う。
それが毎日続けば、気づけばすごく大きな人になれるだろうな。
と、わかったようなことを書きながら実は自分に向けて発信しているわけだ。
「一生懸命」考え、「一生懸命」行動したい。